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「裏庭物語」2回目の今日は、世界で一番小さい鳥ハミングバード(ハチドリ)のお話です。


グレィスの裏庭には可愛いハミングバードが遊びに来ていました。 キッチンの軒先にぶら下がっているフィーダーから、赤い砂糖水を吸うために集まるのです (赤い色は彼らを惹きつけるので、当時は食紅を使っていました)。 美しく輝く赤や青や緑色をした彼らをキッチンの窓から間近に見て、最初私は単純に楽しんでいたのですが、 実は、彼らは知れば知るほど驚異の鳥でありました。

ハミングバードを初めて見てまず驚いたのはそのサイズです。 私の親指より小さく見えます。裏庭に来たハミングバードは8〜10センチくらいだと知ったときは、なんだ、結構大きいじゃないのと思いましたが、 それは長い嘴と尾を含めてのサイズ。南北アメリカ大陸に棲息する300種以上のハミングバードの体重は2〜20g、 サイズ(嘴から尾まで)は最小5cm〜最大13cmとのことですから、やっぱり小さい!

次に驚いたことは、ハミングバードが長い嘴を入れて赤い砂糖水を吸う姿です。 グレィスのフィーダーには止まる場所がなかったので、花の蜜を吸うときのように彼らは翼を羽ばたかせ、 まるで浮かんでいるかのように空中で静止して砂糖水を吸っていました。

これをホバリング飛翔というようですが、ハミングバードの羽ばたきは高速で、 一秒間に12〜80回以上(最多200回)とのこと。 ちなみにこのときの羽音が、日本語名のハチドリもそのようですが、ハミングバードの名前の由来です。 (英語の humming には「ぶんぶんいう」、「多忙な」という意味もあります。)

彼らは時速54キロ以上、降下の際は90キロまでの速度で飛ぶことができます。 ハミングバードって、スイスイと自由自在に素早く方向転換して、忙しく飛び回っているなぁとは思っていましたが、 飛行に関してまだ驚くことがあります。 空中停止、前方、上下、左右への飛行ばかりでなく、なんとまあ彼らは、後方飛行ができるんです。 というか彼らは後方飛行のできるのできる唯一の鳥なんです。

更に驚いたことといえば、 例えば、冬になると暖かい土地を求めてアラスカからメキシコへと移動したり、 ノンストップで800 km飛ぶハミングバードもいるとか、平均すると彼らは毎日体重の半分以上の蜜を消費するとか、 長い嘴を差し込んで長い舌で花の蜜を舐める際に瞬時に糖分含有量を判断でき、少ないと他の花に移動するとか、 心拍数も、花が少ない時とか夜間は毎分50〜180で、最多心拍数は毎分1000以上とか。 (上述の数値は夫や私が調べた記事によるものです。)

「ちゃたーの記事って、タイトルは『魅惑のハミングバード』なのに 『ハミングバードの驚くべき事実』みたいね」

なんて思われたかも・・・でも、ハミングバードをアメリカ大陸に来て初めて目にしたスペイン人が、 彼らのことを flying jewel (空飛ぶ宝石)、 ポルトガル人が flower kisser (花にキスするもの)と呼んだほど、彼らは本当に魅力的な鳥なんです。

「百聞は一見にしかず」です。「ハチドリ 写真」とか「ハチドリ 動画」等で出てくると思いますので、 皆さま、ハミングバードを是非インターネットで検索してみてください。 知れば知るほど彼らに惹きつけらるだろうと、私は確信しております。


ではでは、次回をどうぞお楽しみに。
To be continued.

2/18/2014




ライラックです。この前の続きをもう少しお話したいと思います。

私たちは石段すべりが禁止されたので、今度は小高い所にある公園へ行く道にお引越ししました。
ここは登るのが大変でしたが、カーブが多く急斜面なのでスリル満点でした。
最初のうちはカーブをうまく曲がりきれず、何度も何度もころびました。スピードが出ているために、 ころんでもすぐには起き上がれず、そのままお尻でずるずる滑ってしまうのです。
雪がちょっと軟らかいと、中の下着まで濡れて、ズボンの色が下着についてしまうことも度々でした。 当時の布は染色が良くなかったのですね。
人がほとんど通らないこの道の真っ白な雪も、それぞれのズボンの色の染料で色鮮やかに染まり、 それが面白いと言ってはみんなで大笑いし、ズボンが濡れ、お尻が冷たくなろうが頓着なしで、暗くなるまで滑っていたものです。

しかし、家に帰ると母にさんざん叱られ、楽しかった気分はいっぺんで吹き飛んでしまいます。
母が叱るのも無理からぬことでした。下着やズボンがそんなふうに汚れても洗濯できなかったからです。
当時は脱水機などあろうはずもなく、一度洗濯すれば乾かすのが大変でした。 衣料事情もよくなく、替えのズボンも下着も数があまりなく、下手をすれば明日学校へはいていくものがない恐れもあったのです。
仕方なく火鉢の上に濡れたズボンやら下着やらをかざし、生乾きになると今度は炬燵で乾かしました。 これがけっこう大変だったのです。

学校では雪遊びばかりでなく、教室の机を移動させて遊び場所を作り、おはじき、 お手玉、まりつき、あやとり、馬乗り、めんこなど、いろいろな遊びをしたものです。
雪国の遊びといえば誰でもがスキーやそり遊びを思い浮かべるかもしれませんが、 その当時はスキーを持っている子はあまりいませんでした。

私が初めてスキーを履いたのは高校に入ってからです。隔週の土曜日は体育の授業がスキーでした。 遠くのスキー場までスキーを担いで歩くのが結構ハードで、みんなぶつぶつ言いながら歩いたものです。
私のスキーは知り合いの人から譲ってもらった古いものでした。 長靴を履いて簡単に止めるだけのものだったので、よくスキーが長靴からはずれ困ったものです。 スキーだけ勝手に先に滑っていき、追いかけるのが大変だったのです。 しばらく経ってから、カンダハーという締め具とスキー靴を買ってもらった時は嬉しくて、 スキーの授業日が待ち遠しくてなりませんでした。

スキーが少し上手になると、先生が付近の初心者向けの山を一巡りするコースに連れて行ってくれます。 登ったり下ったりの繰り返しですが、なだらかな長いスロープが多く、 新雪にシュプールを描いて滑るのはゲレンデで滑るのとは違った魅力があり、私のお気に入りでした。
おかげで冬になると雪焼けで顔が真っ黒になりました。

子どもの頃はそれなりに雪を満喫して過ごしていましたが、 雪国で生活するということは実は大変なことでした。 冬は毎日が雪との戦いだったからです。今更ながら両親の並大抵ではなかった苦労が思い起こされます。

テレビで秋田の人がこんなことを言っているのを見たことがあります。
『雪国にたまに来て、ウワー、幻想的で素敵!などと言って喜んでいる人を見ると、 ここでひと冬でもいいから生活してみろと言いたくなります。』と言うのを聞いて、 言い得て妙と納得したことを想い出します。

今では子ども達の遊びもすっかり変わり、屋内でゲームなどをして過ごす子どもが 多いとか?
雪国の生活も 暖房器具が普及し、寒い冬も屋内では暖かく過ごすことができ、 様々な電化製品のおかげで家事なども楽になり、主な道路は融雪装置が施され、 車の運転までできるようになったのですから、私が子どもの頃とは雲泥の差です。

それでも、雪との戦いは相変わらずで、毎日の雪掻きが大変な上に、 自分たちでしていた屋根の雪下ろしも加齢と共に出来なくなり、 雪下ろしを頼んでも人手不足で順番がなかなかまわってこないという悩みも出てきたと友人の一人が嘆いていました。
暖かく過ごすことができるようになった反面、暖房のための出費もばかにならないとも言っていました。

雪が殆んど降らない気候温暖な幡豆での生活が当たり前のようになった現在、 時々山形で暮らした寒い冬の日々を顧みることがあります。 そして、よくぞあのような暮らしに耐えられたものだと我ながら感心するのです。
しかし、物資も豊かではなく、文明の利器などほとんどなかった時代に、雪国で暮らし、 天の恵みでもある雪をうまく生かし、 精力的に遊んだ子どもの頃の様々な経験はやはり貴重なものだったと思わざるを得ません。

2/10/2014



ライラックです。

私は小、中、高校と山形の雪深い町で過ごしました。
私は転校生でした。級友は東京弁を話す私が珍しかったらしく、 傍に寄ってきてはいろいろなことを教えてくれ、みんなとても親切でした。 初めはみんなが何を言っているのかさっぱり理解できず、戸惑ったものです。 しかし、毎日級友と接するうちに自然に方言にも慣れ、話すのも上手になり、 地元の子ども達と何ら変わらぬようになる迄には多くの時間を要しませんでした。

記憶が定かではありませんが、戦後3〜4年位経った頃だったと思います。
あの頃は屋根の雪下ろしの雪と降り積もった雪とで、 雪が多い年には道路が平屋の屋根の高さと同じぐらいになり、 玄関まで階段をつけて出入りするなどということも珍しくはありませんでした。

殊に道路の真ん中は気温の少し高い日や雨降りの日を除いて、人が歩いたり、 荷物を運ぶかなり大きな馬ぞりが通ったりして、 雪がしまりかたくなっていたものです。
このかたくしまった雪道が小学生位の小さな子どもたちの恰好の遊び場だったのです。
主として女の子は左図のようなボウフラという歯のない下駄の裏に細く割った竹を何本か打ち付け、 鼻緒や足が濡れないようにつま掛けがついているすべり下駄を長靴代わりに履いて、 雪道を滑りながらお使いや友達の家に出かけたものです。

そこへ馬ぞりでも来ようものなら、もっけの幸いとその後ろにつかまって、 馬に引っぱってもらって滑るのも楽しみのひとつでした。
時には1台のそりに何人もの子ども達がつかまったりしましたが、 暗黙の了解だったのでしょうか、馭者のおじさんに怒られることはありませんでした。

しかし、この楽しい遊びにも落とし穴があったのです。 あろうことかほやほやの馬糞を踏んでしまったことがありました。 ボウフラと足袋(当時は靴下ではなく足袋をはいていました)は糞まみれです。
驚いたの何のって!気持ちが悪いし、汚いし、泣けてきそうでした。 そのまま家まで帰るなどということは到底考えられず、 一刻も早くその糞を取り去らねばと思いました。 幸い馬糞は牛糞と違って、水分が少なく割合さらっとしています。
とっさに思いついたのは道路の隅にあるまだ踏み固められていない雪で糞をおとすことでした。 足袋もボウフラも濡れてしまいましたが、何とか黄色い物を取り除くことができたのです。

それからは、そりにつかまる時は馬のお尻をよーく見ることにしました。 面白いもので、経験を積むと馬が糞をしそうになるのが事前に分かるようになったのです。 子どもの私には大きな収穫でした。

でも、平らな道ばかりをすべっていたのでは面白みがありません。 近くの神社の60段位ある参道の石段もお気に入りの遊び場所でした。
適当なスピードと、カタンカタンと滑り降りてくる快感! 男の子はそりか竹下駄で(竹びっか)、女の子は殆んどがボウフラで、 何度も何度もこの石段を往復したものです。このため石段の雪はたちまちツルツルになり、 旧正月のお参りに来た人たちに多大な迷惑をかけたのです。
とうとう『ここで滑るべからず』みたいな看板を出されましたが、無視して遊んだものです。
これには宮司さんも困ったのでしょう。子どもたちに滑られないように、 滑り止めの灰をまかれてしまいました。それ以後は残念ながら、 そこで滑ることは不可能になったのです。

このことは後年、自分たちは他人の迷惑など考えない困った子ども達だったと、 反省も含めてクラス会の話題になったことがありました。

山形の訛りとびかうクラス会
             我らはしばしみな小学生


もっともっといろいろな遊びを楽しみましたが、長くなりますので、続きは次回に。

2/4/2014



セロひきゴーシュです。

トップページの更新履歴のところに、「花火試し打ち(1月14日)」というのがあります。
冬の花火というのはあまり聞かないし、見たこともないし、近くでもあるし、 書き込みにある幸田町の加藤花火に、時間などメールで聞いてみました。
すぐに返事が戻ってきて、打ち上げ花火は日没後の夕方6時くらいとのこと。
その前には、花火の「部品」である小さなものの試し打ちをするそうでした。

18世紀の作曲家ヘンデルの作品のひとつに、王の命を受けてつくられた
 Music for the Royal Fireworks(王宮の花火)という
のがありますが、三河の冬の花火は  Winter Fireworks on the Sea  でしょうかね。
イギリスの王宮庭園での  Royal Fireworks  の動画をみたことがありますが、 イギリスのは三河花火のように空高くで丸く開くのではないようでした。
ただ明るく燃えているだけなので、音楽がないと格好がつかないのかもしれません。

6時という時間はおおよそのもので、早くなるかも知れないそうでしたから、 30分まえに東幡豆・中柴の海岸に着きました。花火を見にいったのですが、 刻々と変わる冬の三河湾の夕暮れの情景を見ることにもなり、 アサリ採りの番小屋に入って風をよけながら、退屈することなく夕焼けの海と、 時々上がる小さな花火を見ていました。
真っ赤な夕陽がずんずんと沈んで行くのをみていると、地球の自転が実感できます。

夕陽が沈みきって、渥美半島の先端の灯台の光が際立つようになってきた6時ちょうどから、 おおきな花火が七つ上げられました。どれもそれぞれ違う趣向のものでしたが私は5発目のがいいと思ったので、 帰宅してから感想をメールしたところたいへん喜んでくれて、お礼メールが届きました。
尾アさんという花火師の方で、メル友になりました。花火の世界の方と知り合ったのは初めてで、 これから案内をくれるそうです。

1/28/2014






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