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いつか機会があったら四国お遍路の旅をやってみたいと思い始めた数年前から、 それなりにお遍路に関する情報収集と準備をすすめていた。そして今回、 連休と仕事の休暇もとれ、7月の暑い時期、4日間という日数でどこまで回れるか、 不安と迷いはあったものの、思い立ったが吉日とばかり、 決行を決断したのは出発の1週間前だった。
 なぜお遍路へ行きたい気持ちになったのか、 はっきりした理由は自分でもよくわからない。特別、信仰心があるわけでもないが、 カッコよく言えば、昨年亡くなった父の供養と還暦を迎えた今、 改めて自分探しの旅に出ようと思った。








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 ◆第1番「霊山寺」は、新米お遍路の出発点
 7月18日(金)、名古屋発午後11時の高速バスに乗り、 翌朝5時40分に徳島駅に到着。JR高徳線の始発電車に乗り継ぎ、 15分ほどで1番札所のある坂東駅に到着した。この駅で降りたのは私一人。 ここまでやって来てしまったことの不安もあったが、もう引き返せない、 前に進むしかないと自分に言い聞かせて、 1番札所までの道順として引かれたグリーンのラインに沿って歩を進めた。
 時折、小雨が降る曇り空、歩いて15分ほどで1番札所の「霊山寺(りょうぜんじ)」 に着いた。山門の前には白装束を着たきれいな女性のお遍路さんが立っていると思ったら、 マネキンのお遍路さんだと気づき、思わず笑ってしまった。
 霊山寺の山門の横にはお遍路グッズを売る売店があり、 早朝ながら遍路グッズを買い求めるお遍路さんらしき人たちが数人いた。 ほとんどの人がこの1番札所で白装束など遍路に必要なものを買い揃えている。 私もここでいくつかのお遍路グッズを買い揃えた。
 まるで小学校に入学する1年生のようにピカピカのお遍路グッズを身に着け、 ちょっとばかりの恥かしさを抑えて、いざ1番札所の霊山寺の山門をくぐる。
 お遍路参拝にはいくつかの作法がある。まず1.山門にて合掌、一礼。 2.手洗い所にて手を洗い、口をすすぐ。3.本堂にて献灯(ろうそく)と献香(線香)、 納札(おさめふだ)を納め、礼拝、お経の奉納。4.を納経所にて、納経帳にご朱印をいただく。 まだ不慣れな初心者の私は、他の人がやっている様子を見ながら、 見よう見真似で何とかやってみた。また般若心教のお経奉納も恥ずかしさで、 小さな声で唱えた。参拝を終え、真新しい「納経帳」の1ページに初めてのご朱印をいただいた。

 ◆お遍路への接待は、四国の人たちの施し文化
 ご存知のとおり四国お遍路は、 徳島県から香川県まで全行程1300kmにも及ぶ八十八カ所の札所(霊場)を回っていく旅。 今年は弘法大師のが開創から1200年という記念の年を迎え、例年になく、 巡礼者の数は増えているそうだが、全行程を40〜50日かけて歩き遍路で回る人は少なく、 何回かに分けて、いわゆる「区切り打ち」で回る人が多く、 暑いこの時期はマイカーや観光バスの団体の遍路ツアーが多いようだ。
 10分ほどで霊山寺の参拝を終え、ここから約1.4キロ先の2番札所「極楽寺」へと向かう。 まだ時刻は7時半を回った頃だが、私以外に歩き遍路の姿はない。 次の札所までの遍路みちには、ところどころに遍路案内マークの標識や矢印がつけられ、 いちいち地図を見なくても、迷わないようになっている。とてもありがたい。 昨夜は夜行バスで、ほとんど眠れなかったが、体調はまずまずで、 歩き始めたばかりなので足取りはまだ軽い。
 お遍路みちと言っても、 アスファルト道路がしばらく続き、ほどなく2番札所「極楽寺」に到着。 広い境内には、多数の参拝者がすでに訪れていた。無事、参拝を終え、 続いて3番札所「金泉寺(こんせんじ)」へ。ここから約2.7キロの距離だが、 朝のうち曇っていた空からは太陽がのぞき、気温の上昇とともに、一気に汗が噴き出し、 すでに上半身の服は汗でずぶ濡れ状態。やはり、この時期、水分の補給は欠かせない。 あらかじめ500CCのペットボトル2本を携帯していたが、すでに1本は飲み干してしまった。
 1時間ほどで3番札所「金泉寺(こんせんじ)」に到着。参拝を終え、10分ほど一休みし、 ここから4.1キロの距離がある4番札所「大日寺」へと再び向かう。 さらに太陽がギラギラと照りつけ始め、一度引いた汗も再び、噴き出してくる。 2番札所までは軽快だった足取りもやや重くなり、何より照りつける太陽が体力を奪ってくる。 背中に背負ったリュックの重さも約10キロ近くあり、 もう少し減らしてくるべきだったと今となって後悔する。
 そんな道中、 1軒の民家から80才ぐらいのおばあちゃんが出てきて、「暑いから、 気をつけなあかんよ」と言って、冷たいお茶の缶と手作りの巾着袋のお接待をいただいた。 以前、四国では歩き遍路が住民の人からお接待を受ける話を本で読んだことがあるが、 この時のありがたさは、地獄で神様に出会ったように、うれしく、思わず両手を合わせて、 お礼を言った。自分が好きで勝手に歩いているいえば、それまでだが、 見も知らずの通りがかりのお遍路さんを毎日、 お接待をしている四国の人たちの美しい文化であり、宗教的にはお遍路への施しは、 弘法大師への施しと同じと言われているそうだ。
 お遍路の道中には、ところどころに地元の方々が設けたお遍路の休憩所がある。 途中で見つけた休憩所で休んでいると、 2番札所の「極楽寺」で見かけた20代ぐらいの外国人青年のお遍路さんがやってきた。 私が日本語で「暑いね」というと、「暑い!」と日本語で返して、 笑って私の前を通り過ぎて行った。 後からやって来たお遍路さんに追い抜かれたのはこれが初めてだった。
 厳しい暑さの中、水分補給と休憩を何度も取りながら、 やっとのことで4番札所「大日寺」に11時過ぎ到着した。大日寺は背後の山と一体となり、 自然と調和した人里離れた山寺。本堂と大師堂を結ぶ回廊があり、 回廊には木造観音像33体が安置されていた。
 参拝を終えると、すぐ境内にあるベンチに腰を掛け、リュックの荷物を降ろして一休みした。 先ほど、私を追い抜いて行った外国人の青年お遍路さんの姿は、 もうこの境内の中にはすでに見えなかった。30分ほど休憩をとり、 ここから2キロ先の5番札所「地蔵寺」へと向かう。
 休憩したおかげで、何とか気力も戻り、無事5番札所「地蔵寺」に到着し、参拝も無事済ませると、 時刻はちょうど12時頃だった。お腹も空いてきたので、 5分ほど歩いた国道沿いの「水源」という大衆食堂で昼食をとった。 昼時で数人のお客さんがいたが、座敷が空いていたので、腰を掛けると、 店の女将さんが「お疲れさん!」と言って、 冷たいお水が入った1リットルほどのボトルとコップを持ってきてくれた。これも、 歩き遍路への接待の気持ちなのだろうと、うれしくなった。食事を終え、 代金を支払うと女将さんが「これはほんの気持ちだよ」と言って、 代金の一部から100円を戻してくれた。お礼を言って、ありがたくいただいた。
 しばらく歩いているとある民家の塀に、「一歩あゆむ、その瞬間、 ゴールはすでにそこにある」と書かれたがかかっていた。 ここを通る歩き疲れた遍路さんへ、少しでも励まそうという、 これもお接待の言葉だろう。

 ◆宿泊客は私一人だけだった
 昼食を済ませ、再び歩き始めると時間はすでに午後1時を回った頃。初日だったので、 最初から今日は5番札所までと決めていたので、今日の予定はこれですべて回り終えた。
 今夜の宿は、昼食の「水源」から約3キロほど歩いた先にある民宿「寿食堂」。 2日前に電話で予約しておいた。まだ昼過ぎの日差しはかなりきつい。 1時間ほど歩き、午後3時頃に到着した。4時頃の到着と電話で言っていたが、 予定より1時間ほど早くついたが、こころよく女将さんが出迎えてくれた。
 食堂と民宿を娘夫婦2代で一緒に経営しており、1Fには宴会ができる大部屋があり、 2Fには6畳ほどの部屋が10室ほどある。部屋入ってすぐお風呂に入った。 お風呂のはさほど大きくないが、1人で入るなら十分だった。
 汗でぬれたシャツやズボンなどをコイン洗濯機で洗い、乾燥機で乾かし室内に干した。 すると間もなく辺りが暗くなり始め、雷鳴と稲妻が光ったと思ったら、 たちまち大粒の雨が降り出し、強い風雨となったが、20分ほどでやんだ。この時ばかりは、 早めに宿に入っていてよかったと思った。
 部屋に布団を敷き、横になって本を読んでくつろいでいると、 午後6時半ごろ「食事の準備ができたよ」と女将さんから部屋に電話が入った。 夕食は1Fの併設する食堂に準備されていた。どうやら今夜の宿泊客は私一人のようで、 食堂には女将さん夫婦、娘夫婦、2人の孫の6人が別のテーブルですでに夕食を食べていた。 私には隣のテーブルに鍋料理が用意され、食事を家族だんらんの中で食べた。 70才代ほどのご主人は、若い頃から食堂と民宿を経営する傍ら、 お遍路の先達を長年務めてた経験があるとのことで、 これまでのお遍路体験談やアドバイスを話してもらい、とても参考になった。 1時間ほどの夕食時間を終え、部屋に戻ると初日の疲れもあり、 午後8時過ぎ、早めに床に就いた。














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 ◆遍路みちを間違えても、大丈夫
 翌朝は5時頃に目が覚めた。前の晩に朝食は6時半と聞いており、時間になったので身支度を整え、 昨晩と同じ1Fの食堂に行った。朝食は味噌汁、生卵、豆腐の冷奴と定番メニューだが、 食事と一緒にビニール袋に入った塩と宿のマッチ箱と5円玉が置かれてあった。 これもお遍路さんへの接待の気持ちだと思い、ありがたくいただいた。 朝食を食べ終えると間もなく7時、民宿の女将さんに見送られて出発した。
 今日の最初の札所は、ここから4キロほど先の6番札所「安楽寺」。 今日はできれば12番札所まで回る予定をしているが、まだ日差しの強くない午前中のうちに、 できるだけ距離をかせごうと先を急いだ。ところがしばらく歩いていくと、 道路にあるはずの例のお遍路マークがしばらくないことに気が付いた。 どうやらどこかで道を間違えたらしい。地図を広げて確認していると、 近所の家から男の人が出てきて、「道を間違えているよ」と言って、 本来の道に戻れる道を詳しく教えてくれた。本当にありがたい。お礼を言って、 教えてくれた道をしばらく行くと、例のお遍路マークが電柱に現れ、一安心。 宿を出発して、1時間ほどで6番札所「安楽寺」に到着した。
 日差しも少し強くなってきたので、さらに暑くならないうちに、 少しでも先に回ろうと参拝をおえるとすぐ7番札所「十楽寺」へと向かう。 ここから1キロほどの距離だったので、ほどなく到着した。しかし、時間も8時頃となり、 案の定、気温もかなり上がってきた。もうすでに服は汗でびしょ濡れ状態。 参拝を終え、5分ほど一休みし、先を急いだ。
 十楽寺から次の8番札所「熊谷寺(くまだにじ)」までの距離は、4.2キロほど。 時刻も8時過ぎを回ると、かなり日差しも強い。暑さのせいで、 途中の風景を楽しむ余裕もなくなってきた。それにしても、道中にある家々が、 とても立派でまるで武家屋敷のような家が多いのに驚く。途中、 自宅の垣根を刈っていた70代ぐらいの男性がいて、 挨拶して「熊谷寺まであとどのくらいでしょうか」と尋ねると、「もうしばらく行くと、 山門が見えてくるよ。頑張りな。」と教えてくれた。その言葉に励まされて、 ほどなく歩くと、言われた通り熊谷寺の山門が見えてきた。 四国でも最大級といわれる朱色のずっしりと構える「仁王門」が出迎えてくれたが、 そこからまだ境内までの一本道が続く。
 8番札所「熊谷寺」はこれまでになく、大きく立派なお寺だった。 境内から本堂まではさらに30段ほどの階段を上ってようやく到着した。境内に本堂、 高さ20メートルの多宝塔があり、大勢の参拝者で賑わっていた。参拝を済ませ、 帰りの参道にはまだ紫陽花が咲いており、 木陰から吹くひんやりとしたそよ風に一服の清涼感を味わった。
 参拝していると、境内で盛んにカメラで写真を撮っている男性がいた。 昨日から何度か見かけたことがあり、年齢40才代、巡礼の菅笠をかぶり、 ジャージ姿で一見雑誌の記者風であった。声をかけようと思ったが、 一生懸命撮影していたので、声をかけそこなった。

 ◆歩き遍路は人との交流が楽しい
 熊谷寺の参拝を終え、2.4キロ先の9番札所「法輪寺」へと向かう。すると、 道の前方約50メートルほど先を例のジャージ姿の男性が歩いていた。 しばらく距離は縮まるでもなく、離れるでもなく、ほぼ同じ距離間で歩いていたが、 よく見ると遍路みちを示す矢印の標識の個所で左に曲がらずに、真っ直ぐ歩いて行った。 「きっと周りの風景に気を取られ、標識に気づかずに行ったに違いない」と思い、 声をかけようと思ったが、前方をどんどん歩いて行っており、声をかけるには遠くなっていた。
 そこから約20分ほど歩き、9番札所「法輪寺」に到着した。私が参拝を終えて出てくると、 先ほど道を間違えた例のジャージ姿の男性が門を入ってきた。何とか無事、到着できたようだ。
 時刻は11時を回り、お腹が空いてきた。山門を出た真向かいに小さな茶屋があった。 このまま歩いても、いつ食事にありつけるかわからないので、早めに何か腹ごしらえでもと思い、 立ち寄ることにした。
 茶屋では70代ぐらいの気さくなおばちゃんが一人で、かき氷やうどんなどを売っていた。 店の奥には、私と同年代ぐらいの男性がうどんを食べていた。 私も奥のテーブルでその男性と相席させてもらい「たらいうどん」を注文した。 たらいの中に氷が入って、火照った体がひんやりしてとてもおいしかった。
 相席の男性は一人で歩き遍路を通しで回る予定で、今夜の宿のことなどしばらく話をした後、 先に出発した。
 茶屋の建物はかなりくたびれ、もちろんエアコンもないが、裏には水田が広がっており、 窓からは気持ちのよい自然の風が入ってくる。
 うどんを食べ終わり、一服していると、突然、雷鳴とともに大粒の雨が降り出した。 10分ほど雨が降り続いたが、雨も上がり晴れ間が見えだした。先ほど出発した男性も、 この雨にあったに違いないが、どこか雨宿りができただろうかと心配した。
 私もほどなく、茶屋を後にして、ここから約3.8キロの先の10番札所「切幡寺(きりはたじ)」 へと向かう。今日はできれば12番札所「焼山寺(しょうさんじ)」まで回りたいが、 再び日差しが出てきて気温も、かなり上がってきた。 先ほどの雨でアスファルトの遍路みちにはあちこちで水たまりができていた。 この雨で少しは涼しくなってくれると思ったが、日差しで温まっていた道路から水蒸気が上がり、 逆に蒸し暑さが増し、まるでサウナ状態だった。
 道の途中で、逆うち(88番から回っている)のお遍路さんと出会い、 「お疲れさん!お互いにがんばりましょう」とエールを交換した。しかし、 この蒸し暑さでシャツやズボンは汗でびしょ濡れになり、途中の山間の木陰で、シャツを着替えた。
 歩くこと1時間ほど、やっと10番札所「切幡寺」の参道入り口までやってきた。 ところが、ここからがさらにきつかった。山門まで細く長く続く坂道を1キロほど上り、 やっと山門にたどり着いた。仁王門をくぐるとかなり急な階段が現れ、何と 「是より三百三十三段」と書かれている。以前読んだ遍路ガイドブックに、 「切幡寺」は四国のお寺で一番長い階段のあるお寺と紹介されていたことを思いだした。
 すでに体力はかなり消耗しているが、気力で登るしかない。登り始めた最初のうちは、 頭の中で、階段の段数を数えていたが、息も絶え絶えとなり、いつの間にか数えられなくなっていた。 途中、何度か立ち止まり休憩し、死ぬかと思ったが、何とか境内に到着した。
 境内ではしばらく、動けないほど足の筋肉がつったようになり、近くのベンチに腰を掛けた。 お寺には団体のお遍路さんが多く参拝し、これまでの中でも一番の賑わいだった。 標高150メートルの境内から見下ろす風景は、眼下に吉野川が流れ、 四国の山々が連なる素晴らしい景色だった。苦労して上ってきた甲斐があったと誰しも思うに違いない。 すると参拝者の中に、またしてもカメラ撮影をしている例のジャージ姿の男性がいた。

 ◆歩き遍路をあきらめタクシー遍路に
 参拝を終え、30分ほど休憩して、これより10キロ先の11番札所「藤井寺」へと向かう。しかし、 これからが11番からが距離も長くなり、遍路の厳しい難所が続くと言われているところ。 体力も限界に近づきつつあったが、途中、これまでで最も素晴らしいと景色に出会った。 吉野川にかかる川島橋の遍路みちだ。橋の幅は2メートルほどで車1台が通るのがやっとで、 昔は渡し舟だったそうだが、これまでどれほど多くのお遍路さんがこの橋を渡ったのだろうと想像した。
 1時間半ほどかかって11番札所「藤井寺」に到着。足の疲れもピークに達し、 参拝を終えた頃には、すでに午後3時を回っていた。あと12番札所「焼山寺(しょうざんじ)」を残すだけとなったが、 ここから12キロあり「遍路ころがし」と言われ、山の斜面を登り、 健脚でも3時間以上はかかるといわれる四国の難所の一つ。
 どう考えても、午後5時(ご朱印がもらえる時間)までに参拝し、 今日予定している宿まで行くことは無理だ。体力的にも限界に達しており、 歩き遍路をあきらめ、ついにタクシーを使う決断をした。携帯電話でタクシーを呼び、 自動車1台が通るのがやっとという山道を1時間ほどかけて「焼山寺」へ到着した。
 12番札所「焼山寺」は標高938メートルの焼山寺山の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所で、 四国山脈の山々がひろがる眺望はすばらしい。山門をくぐった境内には、 太さ5mを超える杉の巨木が何本もそびえて立っている。さらに石段を上り正面に本堂。 本堂の右手に大師堂が続き、これまで回ったお寺の中でも最も荘厳な雰囲気が漂っていた。 無事、参拝を済ませ、待たせていたタクシーで今夜の宿へと向かった。
 今夜の宿はJR徳島線の「鴨島」という駅にほど近いお遍路さんが多く泊まる昔ながらの 「さくら旅館」で、午後5時過ぎに到着した。前日の民宿のご主人推薦の宿で、 電話で予約を入れておいた。宿に着くと、 玄関で出迎えてくれたのは年齢30代ほどの宿の三代目(男性)だった。2Fに上り、 迷路のような廊下を通り、広さ6畳ほどの部屋に案内された。どの部屋も昔ながらのふすま1枚の入口で、 カギはない。
 他の客はまだ誰もいない。1番風呂に入り、しばらく部屋でのんびりと横になった。 夕食時間の午後6時半になり、1Fの6畳ほどの食堂へ入ると、 もう一人の泊り客がすでにテーブルに座っていた。何とその人は、 道中何度か見かけた例のジャージ姿の男性だった。同じテーブルに座り、 ビールを一緒に飲みながら、今日の道中のことを語り合った。 男性は福岡市内で自営のデザイン関係の仕事をしているそうで、連休を利用して遍路にやってきたという。 仕事柄、カメラを持って各地を回ることが多く、今回は四国遍路の風景を撮り、 もう明日には帰る予定だという。道中、何度か一緒になり、 偶然、一緒の宿となったのも何かの縁だろうか。1時間ほどいろんな話ができ、 楽しいひとときを過ごせた。部屋もすぐ隣同志で、午後9時頃部屋に戻り床についた。
















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 ◆宿で出会った男性と別れて
 朝4時半頃、少し早く目が覚めた。まだ外はうす暗く、布団の上でしばらく、 今日の予定をどうしようか遍路地図を眺めて考えていた。昨日までに12番札所を回り、 徳島県内での残す札所は13番から23番の11カ所になった。しかし、 今回の旅で残りすべて回るのは、想定外の暑さもあり、 このまま歩き遍路で回ることは体力的にも厳しくなっている。 今日は13番から17番までの5カ所を回り、予定を1日早めてお遍路の旅を終えようと決めた。
 朝食の6時半になり、昨晩と同じ1階の食堂に行くと、 例の男性もすでにテーブルに座っていた。朝食には、2代目のご主人が世話をしてくれた。 年齢は70才くらいだろうか。話好きで、 食事中は最近のニュースの話題からこれまでの旅館業の思い出などあれこれと話してくれた。 例の男性は「今日は岡山まで出て、新幹線で自宅へ帰ります。また近いうちに、 ぜひこの続きを歩き遍路したい」と話す。
 朝食を食べ終え、部屋に戻り、身支度を整えていると、 例の男性が部屋のふすまをノックし、「いろいろお世話になりました。 お先に出発します」とあいさつしてきた。私も「またお会いすることも、 ひょっとしてあるかもしれませんね。お元気で!」と見送った。 私も5分ほどたった7時30分頃、ご主人に見送られて「さくら旅館」をあとにした。
 旅館から歩いて5分ほどでJR徳島線の「鴨島(かもじま)駅」に着いた。駅には、 例の男性も改札口にまだいた。5分後に来る徳島行きの特急に乗るということで、 改札口で再度、お別れの挨拶を交わし手を振って見送った。
 特急電車が出発して5分後に、徳島行きの普通電車が到着した。ちょうど朝の通勤、 通学時間帯だったが、車内の乗客は少なく、空いた席に座った。 15分ほどで6つ目の駅「府中(こう)駅」に到着した。
 回る順序でいくと次は13番札所を回るのが本来だが、 ここから3キロ先の17番札所「井戸寺」が府中駅から最も近い札所になるので、 順番を変えて回ることにした。駅から10分ほど歩くと、 例のお遍路みちの案内マークが電柱に現れ、ほっと安心する。しばらく住宅地を歩いて、 30分ほどで「井戸寺」に到着した。
 四国地方は昨日、梅雨が明け、朝から強い日差しが容赦なく照り付け、 すでにかなりの汗がシャツを濡らしている。「井戸寺」の参拝を終えると、「遍路地図」で、 次の札所の順路を確認する。ここから本来の順番となる13番札所「大日寺」まで行くには、 ここから10キロほど道のりを逆に戻る必要があり、少しでも時間をかせごうと、 タクシーを呼んで、「大日寺」へと向かった。
 20分ほどで13番札所「大日寺」に到着した。「大日寺」は昨日、 参拝した12番札所「焼山寺」の山沿いを下った県道沿いに建ち、 裏には「鮎喰(あくい)川」が流れている。 この13番札所「大日寺」から17番札所までの5ヶ所の札所は、 すべて「鮎喰川」流域に沿っており、比較的回りやすいコースが続く。
 「大日寺」の参拝を終え、次は3キロ先の14番札所「常楽寺」に向かう。 徐々に日差しが強くなってきたが、「鮎喰川」に沿って続く遍路みちは、 見渡すばかりの広大な田んぼが広がり、風が稲の葉を波打って吹きよせ、 火照った体を心地よく癒してくれる。これこそ歩き遍路冥利に尽きると実感する。 しかし、しばらく行くと、また県道のアスファルト道路に入り、暑さとの戦いがまた始まる。 時折、「自分は何のために今、ここを歩いているのだろうと」自問自答するが、 その答えはいまだ見つからない。
 14番札所「常楽寺」に到着したのは午前11時を過ぎた頃。 境内の地面にはむき出しの固い岩盤が本堂まで続いている。これまで回ったお寺に比べると、 本堂はかなり老朽化が目立つ。本堂で般若信教を唱えている私のすぐ隣には、 60代ほどの夫婦づれの遍路さんが般若信教を唱えて参拝していた。 夫婦そろって遍路旅をしている姿を見て、ちょっぴりうらやましく感じた。
 常楽寺で10分ほど休憩し、次の15番札所「国分寺」へ向かう。 国分寺までは1キロほどで、これまでの中で最も短い距離で、疲れた体には助かった。 20分ほどで到着し、参拝した。参拝し終わって、境内にある木陰のベンチで休憩していると、 時刻はちょうど正午となった。お腹も少し減ってきたが、近くに食堂はなく、 リュックにあったカロリーメイトとお菓子を食べて空腹を満たした。
 この時刻になると太陽の日差しが、容赦なく照り付け、30度以上には達していたと思う。 1時間ほどの休憩をとり、今回の遍路旅の最後となる16番札所「観音寺」へと、 疲れた重い腰をあげ出発した。
 「観音寺」までの距離は約2キロ、距離としてはそれほどでもないが、 遍路みちは県道沿いのアスファルト道路が続き、暑さで頭がくらくらしてくる。 30分ほど歩き、ようやく16番札所「観音寺」に到着した。この辺りは古い町並みが残り、 「観音寺」は道路沿いにあり、境内はそれほど広くなく、こじ んまりしているがきれいで立派な本堂だった。

 ◆遍路旅を終えて思ったこと
 これで予定した札所すべての参拝が終わり、再び、 今朝降りたJR徳島線の「府中(こう)駅」へと向かった。 にぎやかな街の中心街を1キロほど歩いて、駅に到着した。
 電車の待ち時間を利用して、今夜の宿を徳島駅前にあるホテルへ予約した。 10分ほどで電車が到着し、徳島駅へと向かった。15分ほどで徳島駅に到着。 こんな大きな駅の改札が今でも自動改札ではなく、 若い女性駅員が改札しているのには驚いた。
 駅を出ると、すぐ高速バスの乗車日の変更手続きをし、 駅から5分ほどのビジネスホテルにチェックインしたのは午後3時過ぎだった。 ひと眠りし、駅前のレストランで夕食を食べ、ホテルに戻った。入浴を済ませ、 ベッドに入ると疲れもあり、すぐそのまま深い眠りについた。
 翌朝、ホテルの朝食を済ませ、7時30分過ぎにチェックアウトし、 駅前の高速バス乗り場に向かった。 名古屋行きの高速バスの乗客は私も含めて5人と少なかったが、定刻の午前8時に出発した。 来るときは夜行バスだったが、今回は昼間なので、車窓風景も楽しめる。しばらく走ると、 淡路島にかかる瀬戸大橋から鳴門海峡が見えてきた。 鳴門海峡を行き来する数々の船の往来を眺めながら、今回の遍路旅を振り返った。
 来るまでは期待と不安が半々だったが、 今回の旅でお遍路の苦しさと楽しさの両方を味わうことができた。 見も知らずのお遍路たちに「お接待」というおもてなしの心で迎えてくれる、 四国の人々の温かさを肌で感じることができた。 1200年という長い四国巡礼の文化が今でも、この地の人々に受け継がれ、 全国から多くのお遍路が何かを求めてやってくる。 それが何かとは一言では言い表すことは難しいが、 ここを訪れて感じた「出会う人と人とのご縁」、これこそが「四国お遍路」の魅力だと思う。 遠ざかっていく四国の風景を見ながら、ぜひ近いうちに「四国お遍路」の続きとして、 この地を再び訪れたいと思う自分がいた。
 
(おわり)    

8/29/2014    


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