メッセージをどうぞ


若いときから、「白き神々の座」と言われるヒマラヤの8千メートル級の山々を見ることが夢でした。全部で14座ある山の名を、 すぐにいくつ言えるか山仲間と競争したりしたものです。
 エベレスト、K2、アンナプルナ、ヌプツェ、ランタン・リルン………. 唱えているだけでも心が躍ります。 登頂は無理としても、ふもとを歩くヒマラヤン トレッキングに行きたいね。いつか行こうね、と妻と言っているうちに、 その妻は先に逝ってしまいました。「いつか」は、実行できる体力と気力があるうちに実現させないと、 永久に来ない「いつか」になってしまうと、このごろ考えるようになりました。
 そういうとき見つけたのが「エベレスト観光とネパールの旅」というクラブツーリズムのツアーです。 セントレアから出発というのも魅力で、名古屋であった説明会に行き、10月22日出発の申し込みをしました。
 このツアーはエベレスト観光のためのスケジュールに2日をとって、1日目が天候不順で飛べなかったら次の日。 それもダメだったら諦めてください、というもので、かなりリスキイなものでしたが、 もうトレッキングの体力のない私には願ってもないチャンスです。

 さてネパールですが、セントレアから乗り継ぎ時間を含めて15時間かかりました。安いツアーなので、 香港で5時間待ちとか、飛行機なのにバングラデシュのダッカで途中停車(停機?)が1時間あったりして、 カトマンズのホテルに着いたのは現地時間の夜中0時過ぎでした。 荷ほどきなどして1時過ぎにベッドに入り眠ったような眠らないような感じのうちに、早朝のエベレスト観光フライトです。 飛ぶかどうかは空港まで行かないと分からない、ということで、 朝食抜きでゆうべ夜中についたカトマンズ空港にまたバスで行きます。
 今度は国内線なので入国審査こそないものの、セキュリティ検査が2度もありました。 山のようなザックを背負ったトレッキングの人たちのゲートがあって、 それに巻き込まれそうになりながらエベレスト観光のゲートにたどり着くと、 もう観光用の飛行機がどんどんと離陸してヒマラヤに向かって飛んでいるようです。 どうやら天候も安定して視界も良好らしい。 Oh, I'm so happy!





▼ 写真はすべて、クリックで拡大します
観光飛行の飛行機は双発のプロペラ機。どの飛行機も共通して、主翼が胴体の上についている高翼式です。 窓より上に翼があるので、低翼式の大きな旅客機のように翼しか見えない座席になることはありません。 飛行機の大きさは、50人乗りの大型バスくらい。通路をはさんで両側に2列の座席がありますが、 これの窓側だけの座席を使うようになっています。だから定員の半分しか載せないわけです。 座席は指定席。離陸まえにちゃんと救命胴衣の説明が実演されました。海はない国なんだけど。

 コースは、カトマンズから飛び立ってヒマラヤ山脈めざして北上し、 山々に近づいたら山脈に平行してエベレストのある東に向かって30分ほど飛ぶので、行きには飛行機の左側に山脈が見えます。 エベレストで折り返して、こんどは西に向かって飛びます。このときは右側の座席から山脈が見えるわけなので、 どちら側の座席でも公平です。飛行機の移動につれて山々の眺めもどんどんかわるので、CAさんが山の名前を説明してくれます。 私の暗記出来ている山名もいくつか、ありました。そうか、あれがガネシュか、ああ、ランタン・リルンはあれなのか、涙が出そうです。

 山脈の眺めは実にクリア。雲一つありません。気流も安定しているようで、エベレストに近づくと、 一人ずつコックピットに呼び入れてくれました。操縦席の窓は大きいので、座席の窓よりも格段にクリアに見えます。 このときは機首をエベレストに向けて接近していくかたちなので、窓の中で景色が移動していくことはなく、 それどころかだんだん大きくなってきます。

 ということは、コクピットに入る時間が遅いと先に入った人よりも大きなエベレストが見られるわけで、 くじ引きで座席が後部だった私は very lucky でした。 この日のために新しく買ったミラーレス一眼レフに望遠をつけて3枚ほど撮り(手持ち望遠でぶれない練習も予めしました)肉眼にもやきつけ、 パイロットに  ”It’s a dream come true! Thank you!” とお礼を言ったら、 ”You're welcome!” と握手をしてくれました。 (手ばなしでも副パイロットがいるから大丈夫)

 夢のようなフライトが終わりに近づき、カトマンズ盆地が見え始めたあたりで、CAさんが飛行証明書を配ってくれました。 私もたいへん満足。もうこれで後の観光をせずにすぐ帰国してもいいと思ったくらいでした。ナマステ。

12/2/2014    



Himalayan flight に感動して、もうあとの観光はなくてもいいと思ったのですが、 予定どおりに行動しないとツアーとしては困るようなので、なかば渋々、 という感じでツアーバスに乗り込みました。このバスはドライバーとその助手、 ガイドと車両ともで1チームという感じで、3日間ずっと同じでした。 ガイドはマーさんという40代の男性で、とても日本語が上手です。 マーさんは日本語のほかに英語、フランス語もこなして、英・仏人客のツアーもできるそうです。 みんなで感心したら「それでなきゃ生きていけないよ」と真面目に答えました。

▼ 写真はすべて、クリックで拡大します
たしかに、生きるためには、みんな一生懸命です。この国の識字率は50%弱ですが、 カトマンズの寺院などで観光客相手にものを売る人々は、学校など行っていない感じなのに、 日本人には日本語で「ミルダケ、ヤスイヨ、ゼンブデ5ヒャク(ルピー)!」と絵はがきなどを見せ、 だめそうだと、次の白人観光客には 「ハロー、ノーエキスペンシブ、グドフォーユー!」と叫び、 次の団体には「ニイハオ *ナントカカントカ!」と寄って行きます。 日本人と中国人をどうやって瞬時に見分けるのか驚きますが、 そうでないと生きていけない現実があります。「語学」などとのんきなものではなく、 外国語は生きるためのツールなのです。私がいくら英語を習ってもうまくなれないのは、 「語学」をやっているからだと思います。

 いくつかの世界遺産の旧王宮や寺院を回るバスの中で、ガイドのマーさんが言いました。 「あなた方は実にラッキーです。なぜなら、今はカトマンズの1年1度のお祭りの時期です。 役所も学校も全部休みで、だから道路は空いていて渋滞がない。バスはスケジュールどおりに動きます。 だからバザールは買い物客でいっぱい。日本人は歩くのたいへん。」
 寺院の周辺の道路は車1台が通れるくらいですが、その両側に小さな店が並び、 ラッシュアワーの駅のホームと同じくらいの人混みのなかを、 かき分けるようにして大型バイクが警笛鳴らしっぱなしで、 ひっきりなしに人や荷物をいっぱいのせて通っていきます。 四人乗りのバイクを見たときは感心してしまいました。そしてみんな運転がうまいんです。 あわや、というところでピタリと止まって衝突しません。
 カラフルな民族衣装の婦人がその混雑のなかを悠々と歩き、 日本人の一行はそのなかをビビリながらオロオロと歩きます。 でも、こういう現地の人混みのなかへ入って、迷路をちゃんと歩けたのは、 ツアーとしてガイドがいるからできたわけで、一人では到底難しく、とてもいい体験でした。

 バザールで、どこでも売られ、みんなが買っているのが、 造花のように鮮やかなマリーゴールドの花輪です。この花輪は、カトマンズの店舗の軒先や門、 寺院、家庭などに張り巡らされていて、日本の正月のしめ縄飾りのような感じでしょうか。 花輪をつけて歩いている犬もいました。
 犬と言えば、カトマンズには実に多くの犬がいて、多くはのんきに人々の足の間で寝ています。 つまり野良犬ですが、特に飢えて痩せているという様子ではなく、幸せそうに見えます。 飼われていて首輪につながれている犬は3日間に3匹しか見ませんでした。 でも犬にとってはどっちが幸せなんでしょうね。逆にネコの姿は1度も見ませんでした。 地上は犬だらけなので、ネコは木の上にいるのだそうです。
 ガイドのマーさんは犬を指して「カトマンズの犬はみんな政府のまねをしています。 ネパール政府は寝ているだけでなにもしませんから」と言いました。 しかし、野良犬の一部は、夜になると人を襲ったりして危険だそうです。

 行ってから知ったのですが、ネパールは60以上の民族で構成される多民族国家なんです。 バザールの混雑の中の人々も、インド風のサリーもあり、スカート風のもあり、 日本のドテラ風のもあり、そしてみんな実にカラフルです。 神さまや仏さま(どう違うかはうまく説明できない)も、全部総天然色!で賑やかに彩られて、 これも実にカラフルです。日本人的感覚ではちょっと不気味。
 でも、ネパールはお釈迦様の生まれた国です。 BC5世紀、シャカ族の王家の王子であったゴータマ・シッダールタが、 出家してブッダとなったのが西ネパールのルンビニです。そのブッダの説いた教えが、 仏教として552年に日本にも伝来したわけです。 伝来までの千年間で仏教の思想もすこしずつ変化していったのは当然のことでしょう。 ネパールの人々からみれば、日本の寺院の仏様のような、彩りのない単一色塗装?の仏像は、 やはりちょっと不気味なのかも知れません。日本の寺院には、お経を入れたマニ車を回す場所はないし、 かわりに大きな鐘楼があったりするし、ネパールの仏塔 ストゥーパもないし。 (ストゥーパは日本では木の札の卒塔婆となってお墓に建てます)。
 お寺では拝む習慣ができている私としては、寺院とあればお参りをしたいのですが、 世界遺産となっている木造の寺院群には、どこにもご本尊がいなくて、 広場などに巨大な極彩色の仏像があったりします。でもその仏像を拝んでいる人もいない。 ガイドのマーさんに、どこで、どの仏さんを拝んでいいのか尋ねたら、 哲学的な返事が返ってきました。
 「仏教というのは、仏像を拝んだりすることではなく、 人がどのように生きるべきかを考えることなのであるから、どこで何を拝んでも、 拝まなくてもいいのだ」というような内容でしたが、宗教の基本概念だなあ、と感心してしまいました。 日本人の宗教心は形骸化しているのかもしれません。
 ネパールでは人々の宗教も様々ですが、80%はヒンズー教徒、10%が仏教徒、 あとはその民族特有の宗教という分類だそうです。
 ですから歴年もさまざまで、ネパール歴(ビクラム歴と言います)では今年は2071年で、 新年は4月半ばです。西暦とネパール歴とを使い分けているわけですが、それは日本人も同じです。
 我々は旧暦も入れれば3つを使い分けていますからね。
 日本と違うところは、ネパールではさらに民族によって歴年が違いますが、 さすがにそれは公式のものではありません。ガイドのマーさんの言う「Lucky なツアー」の中には、 私たちのツアーがネワール(ネ「パ」ールではない)族の新年である、ということもありました。 きょうはカトマンズに多いネワール族の新年、1035年1月1日ということで、街角では、 新年の衣装を着た人々が楽器を鳴らして踊ったりしています。
 突如、バザールの人混みのなかをかき分けて、数台の四トントラックが現れました。 トラックの荷台にはネワール族の人々があふれるように乗っていて、 歌を歌ったり演説?をしたりしています。
 人々はこれをよけながら、別に文句を言うでもなく、手を振ったりしています。 混み合った路地ですから、トラックも速度を落として進み、 私たちは荷台の若者たちと握手をしたりしました。 私もきれいな娘さんとたくさん握手ができました。
 ちなみに、ネパールの人たちの多くは、インド・アーリア系の顔立ちで、 彫りが深く鼻筋が通って堂々とした感じです。小さい女の子など、 ほんとにきれいで人形のような子もいます。肌は浅黒い人が多いですが、 日本人の平らな顔より見栄えがします。

はじめは渋々参加の寺院巡りの観光でしたが、 カトマンズのバザールの人々の中に入り込むことができて、来てよかったと思いました。ナマステ。 

12/10/2014    



「人」と書きましたが、特に「ひと」だけのことではありません。 ただ  天・地・人  という順番を表す文字があるので、順番として「人」になったわけです。
 と言いながら、「天」では天に一番ちかい山のことを書きましたし、 「地」では寺院やバザールのことを書いたので、ここでは、ネパールで見た人々のようすや暮らし方など、 印象に残ったことを書いて締めくくることにします。

▼ 写真はすべて、クリックで拡大します

先に、バザールの大混雑のなかをすり抜けていくバイクのことを書きましたが、 もちろん他の交通機関もあります。カトマンズ市内でみたもの。
テンプー: 10人乗りくらいのオート三輪バス。始発点と終点だけが決まっていて、 コースのどこでも乗り降り自由。ヒッチハイクのように停めて、 下車するときは天井をドンドンと叩くと止まってくれる。料金は安く庶民的なバス。
マイクロ: 名の通りマイクロバス。テンプー的に利用するが車掌がいる。多くは少年。 料金はテンプーより高い。(20円くらい)
バス: 普通のバスだが、路線バス、ツーリストバスなど各種。私たちの乗るのはツーリストバス。 路線バスに比べて外観も内装もデラックスですが、四日間チャーターなので料金不明。 路線バスは屋根にも荷物や人を乗せます。いろは坂みたいな狭い坂道を左右に傾きながら登る路線バスの屋根にいる人たちは、 怖くないのだろうか。料金は屋根上も車内も同じとのこと。


祈り

これも先に書いたように、ネパール人の80%はヒンズー教徒で仏教徒は10%ですが、信仰という点では、 キリスト教とイスラム教のような、互いに不寛容なものではないようで、 かなり入り交じったものがあるようです。
 朝、カトマンズのホテルの近くで絵ハガキを買いに入った小さな店では、 ここにはないが弟の店にはあるからと、すぐ近くの店へ連れて行ってくれました。 「この日本人が絵ハガキを買いたいそうだ。売ってやれよ」と言ったらしく、弟なる人は了解した様子でしたが、 一向にハガキを見せてくれません。 "Wait." と言って店の前にある小さなお堂の四隅に下がる金色に光る鐘に、 これもよく磨いた水差しで水を注ぎかけ、残った水を地にこぼし、あと、手を合わせて拝みます。 しかし不可解なことに、日本人のようにお堂の中に向かって拝むのではなく、 お堂に背を向けて拝んでいるのです。不思議に思って「あなたは誰を拝んでいるのか?」と英語で聞いてみました。
 その答えの要約。「私は太陽に向かって拝んでいる。鐘に水を注ぐのは、太陽の熱で鐘が燃えないためで、 地には太陽の恵みを受けやすいように、水を注ぐ。この祈りをしてから自分の一日が始まる」
 太陽信仰は日本人にも通じます。私も嬉しくなって、 「日本人も日の出の太陽を拝んだりするよ」と言いましたが、彼は(ちょっと違うなあ)という表情でした。
 ともあれ、客を待たせてまで祈るのは、まだ彼の一日が始まっていなかったからです。 それから気をつけて市内の店を見ると、日用品として仏具を売る店は多く、 大小の真鍮製の鐘や銅の水差しなども必ず置かれています。私もあとから町に行って、 記念に一つ小さな真鍮の鐘を買ってきました。
 ネワール族の新年の歌も、祈りの中に入るかも知れません。カトマンズ近くの別のバザールの広場では、 人々が集まって民族楽器を演奏し、歌っていました。次から次へと曲目が進んでいるようですが、 誰に聴かせるというふうでもありませんでした。もっと聴いていたかったのですが、 ツアーの仲間に置いていかれると完全迷子になるので、移動しなければなりませんでした。


人びと

働く人びと バザールでは、品物の売り買いが飛び交っています。そのなかで、 ものを売り買いする人たちの姿は実にさまざまで、日本のスーパーで棚のものをかごに入れてレジで払うだけ、 というのとは全く違います。路上、寺院の日陰、自転車、天秤棒、あらゆるところで売り買いがされていて、 買う人は食べ物など試食し、気に入れば値切り交渉。とてもダイナミック。これは写真で見てください。
 もちろん他の働く人もいます。旧王宮の入り口には衛兵がいて、銃をもって、旧軍人の制服で立っています。 しかし、ここの衛兵さんは、他国でみる衛兵と違って、何となくのんびりしていて、 暑くなると日陰に移動したり観光客と一緒に写真に入ったりしていました。 台湾・台北の蒋介石総統祈念堂の前の衛兵は、1時間の間まばたきをせず、捧げ銃をして直立不動なので、 最初は(あれは作り物の衛兵像じゃないのか?)と思うくらいでしたが。
 カトマンズ郊外の田園地帯では、ちょうど稲の穫り入れで、いろいろな農作業が見られました。 足踏み脱穀機で稲束をこいたり、人力で籾をすったり、風で籾とコメを選別したり、それは70年まえ、 私が手伝わされていた農作業と、懐かしく重なって見えました。
憩う人びと バザールでは、忙しく動いている人もありますが、 のんびりと街角で腰をおろしている人もあります。ほとんどは中高年の男性。 新年のお祝いの帽子をかぶっている人たちもいました。ネワール族の長老たちだそうです。 何をするでもなく、ただただ座り続けているのが、また何とも言えぬ風格がありました。
子ども ネパールで、子どもの写真を勝手に撮るのは好ましくないそうなので、あまり撮れませんでした。 バザールの雑踏の中ではたくさん子どもを見かけましたが、お祭りで学校が休みだったせいもあるようです。 総じて、子どもの躾はしっかりしていて、店先の品物を触った子どもを、 お母さんが頭をピシャリと叩いて叱っていました。日本でよく見かける、 おもちゃの前で地団駄ふんで泣きわめくような姿は、カトマンズの町では見ませんでしたが、 子どもを叱れる親が健在なのでしょう。 



おわりに
海外旅行は初めてではありませんが、いろいろな面で今回のネパールには多くの驚きと感動がありました。 最大の感動はなんと言ってもヒマラヤン フライトでしょう。 一生に一度の機会を絶好のコンディションで迎えてくれたヒマラヤの山々と神々に深い尊敬を捧げます。
 また、活気に満ちたバザールの大混雑を、迷子にならぬようついて歩きながら、 生きることの喜びとでも形容できる高揚感を味わうことのできたのも、おおきな収穫でした。 これは、ネパールの人々の生きるエネルギーを分けてもらえたのかも知れません。 パリのシャンゼリゼ大通りにを歩いたときには無かった感情です。
 そして、他人の海外旅行の自慢話を、ここまで忍耐強く読んでくださった方々に、 もっとも大きな感謝をいたします。ありがとうございました。ナマステ。

12/22/2014    




↑このページのトップへ