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ある日曜日。怠惰に身を委ねネット・サーフィンをしていたら、

"発音しにくい英単語トップ10" が発表!! 外国人が最も発音しにくい単語の1位は 「ウスターソースの "ウスター" : Worcestershire 」と判明!! (原文のまま)

とのタイトルが目に入りました。 記事 を読むと、 Reddit というアメリカの人気投稿サイトでユーザが世界中の人に、 「最も発音しにくい英単語は何ですか?」と尋ねたところ Worcestershire が1位に選ばれたとあります。「発音しにくい英単語トップ10」は下記のとおりだったとのこと:

Edited が9位なんて不思議な気がしますが、 私が発音できなかった単語は Worcestershire 。難しいというより、そもそも発音したことがない英単語です。 アメリカではウスターソースを肉や魚料理に使ったり、お好きな方はブラディ・マリーにちょっとたらしたりします。 でも私、ウスターソースがもともとそんなに好きではありません。まったく関心のない調味料なんです。

Worcestershire って、発音しにくい英単語のトップに選ばれるほどは世界中で身近な英語なのか・・・ ピンときませんが、その難しい発音を習得すべく、私は辞書で発音記号を調べ、発音(とアクセント)を頭に入れて、 あるサイト で英語の聞き取りをしてみました。イギリス人もアメリカ人も、ほんと、早口です。 発音することよりも、発音が聞き取りれるまで時間がかかりました。

さて発音練習が一段落し、改めて Worcestershire に目を向けた私は、あることに気づきました。この長くて子音が多い単語、 綴りからは4音節( syllable )で[ワーセスタァシァ]のように読めます。でも正しくは Worces・ter・shire [ウス・タァ・シァ]と3音節。この第1音節、 綴りと音(外見と中身?)の違いが甚だしくて、音を知らなければ正しく読めません。

これに関して、私、思わず微笑んでしまったサイトを見つけました。そこでネイティヴが Worcestershire worce book cook と同じ oo [u] (ウ) woos と発音するんですよね、とか、 Worcestershire の発音は woostershire ですよね、といった質問をしているんです。

「口にしてきたことばなのに、綴りを見たらわからなくなっちゃったわ。 でも発音記号をチェックするのは面倒だし、というか読めないし・・・やっぱ、ネットで確認するのが一番かしら」

とつぶやいたかどうかわかりませんが、 Worcestershire の発音を確認するために、ネイティヴが、 自分の発音どおりに綴り直していることは興味深いです。 日本語では表音文字のカナ、英語では綴りと音の規則性 フォニックス を用いて綴りと音を一致させるんですね。 でも、この方、綴りはどうやって覚えるのでしょうか。私の場合、[ウスタァシァ]では駄目で、 音から離れ綴りどおりに[ワーセスタァシァ]と発音しなければ書けないのですけど・・・

Worcestershire は発音も綴りもその関係も難しいのね」ということにして、では最後に:

1.「トップ10」リストでは Worcestershire をウスターシャーと表記していますが、[シャー]はイギリス英語です。

2.  Worcestershire sauce Worcester sauce とも呼ばれます。これが日本のウスターソースの語源のようですが、オリジナルの Worcestershire sauce にはアンチョビが使われており、魚醤の一種のようです。

4/19/2015    




名前について私には忘れられない想い出がある。

 中学校の同級生に京子と書いてケイコと読ませる子がいた。中学校は教科担任制だったため、 初めての授業の時には、たいていどの先生も一人ずつ名前を呼んで挙手をさせた。
案の定、彼女は「○○キョウコさん」と呼ばれた。彼女はすかさず「キョウコではありません。 ケイコです。」と言うのが常だった。
彼女の必死の抗議にもかかわらず、相変わらず「きょうこさん」と呼ばれることが多かった。 そのたびに「けいこです。」と繰り返していた。聞いている方も妙に切なくなるような光景だった。

 ある時、先生の一人が
「そうか、君はそんなに『きょうこ』と呼ばれるのが嫌か?僕は君の両親は実に賢い人だと思っている。 京の字は京浜地方・京阪神地方・京城など『ケイ』という読み方がちゃんとあるからだ。 でも、悲しいかな『キョウコ』と普通の人は読みたくなることも事実だ。

 芥川龍之介は辰年に生まれたので龍之介と名付けられた。みんなが知ってのとおり、 彼の名は『リュウノスケ』と読むのが正しい。しかし、時々『タツノスケ』と言われることがあった。 彼はこのことを非常に嫌って、子どもが生まれた時に、自分の二の舞はさせたくないとの思いから、 長男を比呂志(ヒロシ)、二男を多加志(タカシ)、三男を也寸志(ヤスシ)と一字一音の漢字をあてて、 絶対に読み間違えられないような命名をしたということだ。けいこさんの気持ちはよくわかる。 誰だって正しい読み方で名前を呼んで欲しいよな。でも、これは誰が悪いわけでもないんだなぁ。」
と言って、感慨深そうな表情で彼女を慰めたのであった。

 私の名前は姓・名ともに平凡である。絶対に読み間違える人はいない。しかし、 平凡であるが故に同姓同名の人にたまに出くわすことがある。
もう何十年も前のことであるが、慢性疾患があったために、ある病院に通院していたことがあった。 名前を呼ばれて私が医師の前に座るや否や、
「あなた何ともないんですか?よくそんな平気な顔をしていられますね。 あなたの血糖値はただごとではないんですよ。こんなに血糖値が高かったら、 いつ意識を失ってもおかしくないんですよ。」 と言われ、血液検査など最近受けたことがない私の方がびっくりして、
「あのう、私、最近血糖値を調べてもらったことはないんですけど…。 それに今まで一度も血糖値が高いなどと言われたことがないんです。」
と言ったら、医師の方がびっくりして、「おかしいわね。」と独り言を言った。
それを聞いていた看護師が遠慮がちに
「先生、もしかして同姓同名ではないでしょうか?」
「そうね。あなたの生年月日は?」
「○年△月□日です。」
「やっぱり。おかしいと思ったんですよ。どうも失礼いたしました。」
と、医師に謝られたことがあった。

 これが一度ならよかったが、あろうことか同じ病院でまた同じような経験をした。 当時は薬が1か月分しか出せなかったらしく、診察は3か月に一度だったが、 薬は毎月貰いに行かねばならなかった。

 《薬だけ》という小窓に診察券を入れ順番を待っていると、名前を呼ばれ
「○○さん、あなたの薬はこれこれですね?」
と聞いたこともない何種類かの薬の名前を告げられた私は、
「違います。私の薬はかくかくしかじかです。」
と、言ったら、
「あなたは○○さんでしょ?自分の薬の名前ぐらいちゃんと覚えていて下さいよ。」と、 怒るような口調で言われたことがあった。
こんなやりとりがあったこの後は、推して知るべしの結果であったことは言うまでもない。

 もし、私が自分の薬の名前を知らず、看護師の言うとおりに薬をもらって飲んでいたとしたら? と考えると、恐ろしいものがあった。
しかし、こんなトラブルを経験した後も、 平凡でありふれた名前にも両親の願いが込められていたことを知っている私は、 自分の名前が好きである。

 名前にもその時代時代に流行というものがあるようである。
明治時代の女子の名前は平仮名2文字が多く、 『子』がついていればやんごとなき人だと思われていたと聞いたことがある。 《赤毛のアン》の訳者、村岡花子も本名は『はな』。でも、「花子と呼んでくりょう」というほど 『子』がつく名前に憧れていた。


 昔は子どもが生まれても、今ほど名前にはこだわる人は少なく、男子が生まれれば、 上から順番に『一郎or太郎、二郎、三郎』などと機械的に命名したり、 逆に女子ばかりが続けて生まれれば、『とめ、とめ子』などと名づけ、 女の子はこれ以上生まれないようにとの願いをこめたりしたらしい。
昭和になると『昭』がつく名前や『和子』などが人気だったとか…。 突飛な名前よりどこにでもあるありふれた名前が好まれたようである。
また、子どもの幸せを願って、漢字の画数で我が子の名前を決める人もあった。 昭和末期(1980年代)になると、女の子の名前から『子』が消え始め、 男女とも特定の漢字に人気が集まり、 平成に入ると振り仮名がないと読めないような難解な名前が顔を出し始める。 今で言うキラキラネームの始まりだったかもしれない。

 キラキラネームと言えば、元祖は森鴎外だと言われているが、そうではない。 一風変わった名前を子ども達につけたのにはれっきとした理由があった。鴎外の本名は林太郎であるが、 彼がドイツに留学した時、ドイツ人は『りんたろう』と正しく呼んでくれる人が少なかった。 彼はそれを非常に気にしていて、子ども達の将来も考えて、外国でも通用し、 発音もしやすい名前をつけたということである。長男が寅年生まれだったことから、 トラの異称で『於菟(オト)Otto』続いて長女『茉莉(マリ)Marie』次女『杏奴(アンヌ)Anne』 次男『不律(フリツ)Fritz』三男『類(ルイ)Louis』である。

 先日、ある医院で待ち時間の退屈しのぎに週刊誌を読んでいたら、 キラキラネームについての記事が目にとまったので、これはと思うところを書き留めてきた。
その記事の中で、ある小児科医がこんなことを言っていた。
《私の病院の入院患者のベッドのネームプレートは漢字表記だけ。 子どもの患者さんは下の名前で呼ぶことが多いので、いちいちカルテで確認するわけですが、 最近はキラキラネームの患者さんが多いから、ふり仮名を振ることを検討しているところです。》
その入院患者の名前の例ではないが、キラキラネームの例として次のような名前が載っていた。

空(スカイ)、礼(ペコ)、男(アダム)、英雄(ヒーロー)、騎士(ナイト)、七音(ドレミ)、 強音(フォルテ)、世導(リーダ)、光宙(ピカチュウ)、姫星(キテイ)、黄熊(プウ)……。 極めつけは、愛保(ラブホ)、遊女(ユメ)……。

 また、 ネットのあるサイト には、 最もキラキラしている名前のコンクールで、 1位 黄熊(プウ)、2位 今鹿(ナウシカ)、3位 皇帝(シーザーorフランツ)、 4位 姫愛(キュアorティアラ)、5位 苺愛(イチアorベリーア)とキラキラした名前が続いている。

 こうした名前が決して例外ではないことに、橋本聖子参議院議員は、長女を『せいか』、 長男を『亘利翔(ギリシャ)』、二男を『朱李埜(トリノ)』と名づけている。 それについて教育評論家の石井昌浩氏は
《オリンピックで頭がいっぱいで、子どもの将来にまで考えが及ばなかったのでしょうが、 国会議員がこうも軽薄とは絶望的です。》
と、呆れ返り、キラキラネームについて次のように語っていた。
《前略……これでは子どもは自分の名前に誇りが持てず、胸を張って生きてはいけません。 中略……子どもの将来を考えない無知な親の揃い踏みは、一億総白痴化のひとつの象徴だと思います。》

 先の小児科医はこんなことも言っていた。
《事故や災害で1秒を争う緊急時に、患者の名前が読めずに作業が滞る危険性もある。 こうした子も大人になってからの人生の方がずっと長い。その時に、子どもが自分の名前をどう感じるか、 想像がつかないのでしょうか。後略……》

 漢字は古くから日本で使われてきた歴史のある大事な文化であり、社会の共有物である。 漢字は読み方の約束があってこそ、その機能をはたすのではないだろうか。 戸籍には振り仮名をつけないことや名前の漢字の読み方に法律の定めがないためか、 出生届けの際に読み方をチェックする役所としない役所があると聞いたことがある。 礼を『ペコ』、男を『アダム』、 苺愛を『イチアorベリーア』などと読ませる奇を衒う名前が本当にまかり通っているとしたら、 伝統ある日本の文化をないがしろにしているように思えてならないのだが……。

 近年は平成の大合併により、その町が持つ歴史などを度外視した新しい市町村名を時々目にすることがある。 市町村名もキラキラネーム化してきたのか、 奥ゆかしくその土地にあった歴史的な名前が消えて行くことは残念である。

 高校生の時、友達が「実際にあった話だよ。」と言って面白い話を教えてくれたことがある。 女子は結婚すると姓が変わる。
『しめ子』さんが腰巻家に嫁いで『腰巻しめ子』さんに、『せん』さんが有馬家に嫁いで 『有馬せん(ありません)』に、『郁代』さんが紺屋家に嫁いで 『紺屋郁代(こんやいくよ)』さんに、『真紀』さんが原家に嫁いで 『原真紀(はらまき)』さんに、『まり』さんが小田家に嫁いで 『小田まり(おだまり)』さんになったという笑い話のような話である。
私たちはこの話を聞いて、大笑いしたことも忘れられない想い出である。


4/7/2015    



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  乗車時間7時間余り。のんびり鈍行
  列車の旅へ出発


JRが毎年春・夏・冬の年3回、発売している「青春18きっぷ」は割安切符として知られているが、 使用時期が限られ、JRの普通列車しか乗車できないという制約もあり、使ったことがないという方も多い。 私は18きっぷを使うのは2度目で、今回は「飯田線、各駅停車の旅」を1泊2日で企画し、 2人の友人と出かけた。

 飯田線の魅力は何と言っても、変化に富んだ風景にある。中央アルプスと南アルプスに挟まれ、 天竜川の渓谷に沿って走るローカル線は全長およそ195キロ、 この間に 94ヶ所 の駅を巡り、 人里離れた山奥にたたずむ無人駅も多く、最近の秘境駅ブームもあり、 最近は訪れる観光客も増えている。

  片道1人1,630円の運賃が割安に

「青春18きっぷ」の醍醐味は、何と言ってもJR各線を効率的に乗り継いで、 いかに安く目的の旅行が組めるかにある。名称に「青春」、「18」とあっても、使う人の年齢制限はない。 私のような還暦を過ぎた者でも、青春気分で旅行したいと思えば、だれでも使える。切符の値段は1枚11,850円(税込)、 1枚で5回(人)分使用でき、1日分あたり2,370円なので、これ以上の運賃区間を乗車すればどんどん割安になる。 今回の「飯田線、各駅停車の旅」は1日目の宿泊予定地となる長野県上諏訪駅まで、 片道1人当たりの運賃は4,000円になるので、1人1,630円が割安となる計算だ。

 我々3人組は3月15日(日)の朝、蒲郡駅改札で18切符に3回分のスタンプ(入鋏)を押してもらい、 7時42分発の新快速に乗っていざ旅のスタート。ほどなく豊橋駅に到着すると、飯田線の乗車前に、 昼食用の駅弁を構内の売店で購入。

 すでに2番ホームには8時10分発「天竜峡行き」の2両編成の列車が、停車していた。 車内に入ると、思ったより多くの乗客が乗っていて、2両とも2人掛けのシートの空きはなく、 私たち3人は仕方なく1両目の後部にある長いすに腰を掛けた。

 列車は定刻どおり豊橋駅を出発。飯田線の最終駅となる辰野には15時48分到着予定で、 これから約7時間30分にも及ぶ長い長い「飯田線各駅停車の旅」が始まった。

  列車のドアの開閉は押しボタンで

心配した天候も、当日は青空がのぞき、車窓から入る日差しは徐々に強くなり、気温もどんどん上がり、 上着を脱がないと少し汗ばむほどのすっかり春の陽気だ。

 車内には、学生や通勤、旅行客と思われる40人ほどの乗客が乗っていて、 我々と同じように18切符の旅行ではないかと思しきグループも何組かいる。3人組の若者グループ、 40歳代の夫婦連れ、折りたたみ自転車をバッグに入れ、サイクリングを予定している60歳代ほどの男性もいる。 最近はこの飯田線の起伏に富んだ地形を利用した「輪行サイクリング」が流行っているようだ。

 豊橋駅を出た列車はこの路線の唯一の複線区間の小坂井、牛久保、豊川の各駅に停まり、 この間で約半分ほどの乗客が降り、シートもいくつか空き、我々3人組も2人掛けシートの一つを倒して3人で座った。

 豊川駅からは単線になり、新城、長篠、湯谷温泉の各駅を通過、 列車は豊川の渓流沿いの見慣れた風景を車窓から眺めながら、ゆっくりと北上する。 この電車のドアの開閉には押しボタンが設置してあり、乗客は乗り降りの際、手動で開閉する仕組みになっている。

  難しい読みの駅、秘境駅が沿線には多い

豊橋駅から2時間半ほど乗り、10時30分頃、中部天竜駅に到着。反対電車の待ち合わせのため、 列車は15分ほどの停車時間があり、乗客の多くは列車からで出て、トイレ休憩などでしばらくくつろいだ。 反対電車が通過し、列車は再び動き出す。ここから列車は天竜川の渓流沿いを走り、 我々3人組も車窓からの風景を楽しみつつ、いろいろな話に花が咲き、各駅停車の長い時間も苦にならない。 この間、「水窪(みさくぼ)」、「大嵐(おおぞれ)」、シンデレラ駅と呼ばれる「小和田(こわだ)」、 「鶯巣(うぐす)」、「為栗(してぐり)」など、知らないと読めない漢字の駅や、 周りに1軒の民家もないまさに秘境駅などが続く。こうした駅を車窓から見ているだけでもとても興味深く、 飽きることはない。

 午前11時も回った頃、お腹も空いてきたので、少し早いが豊橋駅で購入した幕の内弁当の駅弁を広げ、 昼食を食べる。この頃になると、車内の乗客も10数人ほどとになっていて、 車内で弁当も堂々と広げて食べられた。食べ終わってほどなく、 この列車の終着駅となる天竜峡駅に定刻の12時10分に到着した。この列車は5分ほど停車し、 再び来た線路で豊橋方面へと折り返して行った。

 この天竜峡駅は豊橋駅から数えて51番目の駅で、ほぼ飯田線の半分を乗ってきたことになる。 この駅から「茅野」行きの列車に乗り換えで、列車の到着まで24分の待ち時間があり、いったん駅の改札を出て、 天竜駅周辺をしばし散策した。ほどなく列車は駅に到着し、12時34分、茅野駅に向けて出発した。

  車窓から見える南アルプスの山々

天竜峡駅を過ぎると車窓の風景は、一変した。深い渓流沿いの風景から、平地に広がった街並みが広がり、 列車の左右の遠方には頂上付近に白い雪をかぶった中央アルプスと南アルプスの峰々が見えてきた。 各駅から乗り込む乗客の数も増え、列車は飯田、元善光寺、駒ケ根、伊那市の各駅に停まり、飯田線の最終駅、 辰野駅に到着したのは定刻の15時48分だった。この列車は辰野から中央線に入り、岡谷駅を経由して、 16時24分に我々の目的地、上諏訪駅に到着した。 豊橋駅を出発してから実に8時間余りの長い乗車時間で疲れはしたものの、車窓からの風景は変化に富み、 楽しい時間だった。

 駅から歩いて10分ほどで今宵の宿となる諏訪湖温泉ホテル「紅や」に到着。ホテルは14階建てで、 泊まった8階の部屋の窓からは、ちょうど夕日が沈む諏訪湖が広がり、まさに絶景であった。

 夕食までには時間があったのでホテルを出て、すぐ前の諏訪湖の湖畔を3人で30分ほど散策。 その後、諏訪湖が目の前に見える14階の大浴場に入浴した後、1階のレストランで夕食。 おいしい地ビールとワインで乾杯。出てきた数々のごちそうに舌鼓し、お腹も大満足。部屋に戻り布団に入ると、 みんな疲れからすぐ高いびきの夜となった。

  2日目は中山道「奈良井宿」を散策

3月16日(月)、翌朝6時過ぎに起床し、3人で寝覚めの朝風呂に入り、7時にバイキング朝食後、 ホテルの送迎バスで、上諏訪駅まで送ってもらった。18きっぷは残り2回分しかないため、 上諏訪駅で名古屋まで1人分の乗車賃を購入し、10時21分の松本行きに乗車した。 塩尻駅で中津川行きに乗り換えだが、待ち時間が30分以上あったのでいったん下車して、駅前周辺を散策。

 再び駅に戻り、10時50分発の中津川行きに乗車した。 今日は、当初からの計画していた中山道の宿場町「奈良井宿」のある奈良井駅に向かった。途中、 車中から見える木曽の山々は、数日間に降ったと思われる雪がところどころに積もっていた。 11時13分に奈良井駅に到着。駅には我々を含めて、観光客と思われる10名ほどの乗客が降りたった。 駅を降りるとすぐ、奈良井宿の街並みが見える。 両脇には1キロに及び江戸時代にタイムスリップしたような建物が数多く保存されている。この日は、 まだ観光シーズンには早いのか観光客もまばらでゆっくりと見学できた。 地元の人に紹介してもらった蕎麦屋さん「山なか」でおいしいざる蕎麦を食べ、2時間ほど散策した。

 奈良井駅に戻り、13時32分発の中津川行きに乗車、名古屋へと向かう。車内では疲れもあり、 気持ちよい眠りに誘われながら、中津川駅で快速電車に乗り換え名古屋駅に16時40分に到着した。 再びお腹も空いてきたので、名古屋駅に途中下車し、JRタワーズの12階レストランで「ひつまぶし」を堪能し、 2日間の旅行を3人で振り返った。蒲郡駅に19時13分、無事到着し、今回の旅を終えた。

3/28/2015    



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