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1年ぶりのお遍路旅に、うれしさと期待

前日の夜、名古屋から高速バスに乗り、早朝6時、徳島駅に到着し、 一年ぶりに四国の地を踏んだ。もう一度、お遍路旅ができるうれしさと期待で気持ちは少し昂る。 昨年のお遍路旅は初めてのせいで何もかも不安で心細かったが、今回は気持ちにも少し余裕がある。

駅構内で身支度を整え、軽い食事を済ませ、JR牟岐線の南小松島駅へと向かった。 昨年の7月、17番札所「井戸寺(いどじ)」を最後に 区切り打ち し、今回はその続き18番札所「恩山寺(おんざんじ)」の最寄り駅、 南小松島駅が今回のスタートだ。

南小松島駅には15分ほどで到着。外はまだ早朝のせいか少し肌寒かったが、 歩き始めると体は徐々に温まってきた。 ここから遍路道へ入るには、3キロほど市街地を歩かねばならない。 30分ほど歩くと景色から街並みが消え、遠くに山々を望む、見渡す限り一面の畑が広がってきた。 遍路道への入り口がわかりにくく、間違っていないか心配になり、途中、地元の方に道を尋ねた。 国道から脇道に入り、 ようやく 遍路道マーク を見つけてホッとした。やっとのことで18番札所恩山寺の山門に到着したが、 この間、車で訪れたお遍路さんばかりで、歩き遍路さんとは一人も出会うことはなかった。

恩山寺の参拝を済ませ、ここから4キロほど先の19番札所「立江寺(たつえじ)」へと再び向かった。 時刻はすでに10時を回り、少し暑くなってきたので途中、ウィンドブレーカーを脱いだ。
30分ほど歩くと、遠方にご夫婦の歩きお遍路さんの姿を初めて見つけた。 二人の歩く速度が違うため、ご主人はどんどん先を行き、奥さんが少しずつ遅れだし、私が一緒に並んだ。
「こんにちは、ご主人に離されてしまいましたね」と私が声をかけると、 「ええ、いいんですよ。自分のペースで歩いたほうが、気が楽ですから」と奥さんは答えた。 50代ぐらいのご夫婦で、2日前に東京からやってきたそうで、今日で帰る予定とのこと。 少し歩きながら話して、私も先を急いで歩く。1時間ほど歩くと両側に、 昔ながらの土産物店が並ぶ 門前に続く細い路地に入り、 ようやく19番札所立江寺に到着した。境内は、しだれ桜が見事に咲き誇り、 思わずシャッターを切った。参拝を済ませた頃、境内には多くのお遍路さんが訪れ、 先ほどの夫婦連れのお遍路さんも二人で仲良く参拝していた。

                                 出会った男性と一緒にお遍路旅

立江寺を後にし、次の20番札所「鶴林寺(かくりんじ)」へと再び歩き出した。ここから鶴林寺までは約16Kmあり、 少し長丁場の道のりになる。この間、お遍路道といってもずっとアスファルトの国道を歩くこととなる。 景色も単調な風景が続き、いろんなことを考えながら唯ひたすら歩いた。
ちょうど12時を回り、少しお腹が空いてきたので 国道沿いにコンビニを見つけて立ち寄った。 そこでサンドイッチとホットコーヒーを買い、店の外にあるベンチに腰掛けてそれを食べ始めた。 しばらくすると私と同年代の60代位の一人の男性が歩いてきた。彼は立江寺を出る時に、 すれ違ったお遍路さんだった。

「こんにちは、お疲れ様です」と私が声をかけると私の隣に腰を下ろし、 しばらく一緒に話した。彼は東京から4日前にやってきて、今夜の宿は、 私と同じ鶴林寺の上り口にある「金子や」という民宿を予約したと言う。もっとも鶴林寺付近には、 宿が少なく、ここに泊まるお遍路さんが多い。私も出かける前に、民宿に予約の電話を入れたが、 この日はほぼ満室で、相部屋を条件に予約が取れた。私はコンビニでの食事を済ませ、 「お先に出発します。宿で、またお会いしましょう」と言って、再び歩き出した。
             

                       遍路ころがしに悪戦苦闘

再び国道沿いを歩きだしたが、走行する車の量も多い割には、道幅も狭く、 白線だけの歩道を延々と歩くことには少し恐怖感があった。歩けど歩けど目的地は遠かったが、 2時間ほど歩き、ようやく民宿の看板が見えた。国道の脇から入った細い道沿いにある閑静な集落の中に、 2階建ての旅館が見えた。予定より1時間ほど早い午後2時過ぎに旅館に到着し、玄関先でご主人から 「まだ準備ができていないので、 3時頃にならないとお部屋には入れませんが」と言われた。 そこへちょうど先ほどのコンビニで出会った彼がやってきた。

彼に事情を説明すると「じゃあ、この旅館にリュックを置いて、 この先の20番札所鶴林寺へ一緒に行きませんか」と彼が言ってきた。 「明日の天気は雨の予報で、ここからなら3Kmほどで 3時間くらいあれば何とか行って帰ってこれそうなのでそうしますか」と私もつい賛成した。

しかし、鶴林寺は遍路ころがしと言われているほどの3大難所の一つに数えられている札所で、 宿から出ると間もなくきつい山道の遍路道になった。 傾斜が40度はあるのではないかと思われるような急こう配になり、 丸木を敷いた階段状の道が延々と続き、だんだん足も上がらなくなり、 息遣いも荒くなってきた。死にそうなほど呼吸が荒くなり、何度も途中休憩し、お互いを励ましあいながら、 1時間半ほどでようやく鶴林寺に到着した。仮に一人でこの山を登っていたら、 どうなっていたことだろうと思いつつ、彼と一緒に登ることができたことを感謝した。 すぐ参拝を済ませ、登ってきた同じ道を旅館まで下るのだが、 この急こう配の道は足にはかなりこたえた。

やっとの思いで午後5時ごろ、 再び旅館に到着した。部屋に案内され、 初めて彼との相部屋だとわかり、 お互い驚いた。浴衣に着替え、彼と一緒にすぐ風呂に入り、 6時から夕食となった。食堂にはすでに泊り客の人達が座っていた。この日の泊り客は、 我々を含めて10人ほど。70代、40代の男性、60代の女性の二人連れ、 20代の外国女性、など様々、みんな歩きお遍路の客だった。 食事をしながらこれまでの遍路の情報交換の話などで盛り上がった。 20代の外国女性は途中で出会った70代の男性と一緒に回っていると片言の日本語で話す。 私は彼の隣に座り、彼は日本酒、私は焼酎で乾杯した。この時、初めてお互いを自己紹介し、 彼は千葉県浦安市から5日前にやってきた早川さんだと知った。

1時間ほどみんなと楽しい夕食時間を過ごした後、彼と部屋に戻り、明日の計画を練った。 明日の天気は一日中雨の予報だが、今日、 難所の一つ「鶴林寺」参拝を済ませているので少し気が楽だった。彼から「明日も良かったら、 一緒に歩きましょう」と言われ、「ぜひお願いします」と約束した。そして、 明日の宿泊する宿を電話で予約し、9時ごろ床に就いた。



1日中降り続ける雨の中、再び遍路ころがし

夜中から降り出した雨は、朝起きる頃には雨足がさらに強くなっていた。 全員が朝6時に食事を終え、私と早川さんは雨合羽などの身支度を整え、7時30分に宿を出た。 すでに他の泊まり客は一足先に出発していて、我々2人が、最後の出発だった。

これから21番札所「太龍寺(たいりゅうじ)」までは約10Kmの道のり。 太龍寺への山道も「遍路ころがし」の難所の一つだ。昨日、 歩いた鶴林寺へ向かう遍路道から分かれた林道の山越えルートを二人で登って行った。 雨足はかなり強く、林道を雨水が滝のように流れてくる。1時間ほど歩くと、 ようやく鶴林寺から下ってくる遍路道とぶつかり、そこから遍路道に入った。 下りの傾斜はかなりきつく、雨で滑りやすくなっており、足元に気を付けて下った。 そこから1時間ほどでようやくふもとの集落に出た。

しかし、ここから「遍路ころがし」の山道が始まる。沢伝いに歩くと、 きつい登りの山道が始まった。 昨日の鶴林寺の登りに引けを取らないほどの階段状になった山道が、 「これでもか、これでもか」と言わんばかりに続く。途中、何人かのお遍路さんに抜かれ、 私の足取りも徐々に重くなり、何度か途中で立ち止まった。 一緒に歩いていた彼から「大丈夫?」と聞かれ、 私は「どうぞ、先に行ってください」と答えるのが精一杯だった。 彼との距離が少しずつ離れ、ついに姿が見えなくなり、 私は重い足取りで一歩ずつ登るしかなかった。3時間ほど登り、 ようやく太龍寺の山門が見えてきた。山門の入り口付近で彼が待っていて、 「お疲れさん」と言って出迎えてくれ、とても嬉しくて彼と握手した。

参拝を済ませると、前の日に買っておいたパンを二人で分けて食べた。 太龍寺の山頂にはふもとまでロープウェイがかかっており、相談した結果、 雨の中を遍路道で下るのをやめて、これに乗って降りることになった。 あいにく周辺は霧がかかり、ロープウェイからの景色は何も見えなかったが、 15分ほどでふもとに到着した。 ここから22番札所「平等寺」までは約20Kmあり、 ここから地元の定期バスと電車を使って時間をかせぐことにした。 近くのバス停まで行き時刻表を確認すると、バスが15分前に出たばかりで、 次の時間まで約2時間ある。「残念だけど、仕方ないないですね。 2時間もあるのでどうします?」と彼に尋ねると、すぐそばにコンビニがあったので、 コーヒータイムにした。コンビニを出ると雨足も再び強くなったので、 ちょうどすぐ前に町の図書館があり、1時間ほど雨宿りと休憩をさせてもらった。

バスと電車に乗り継ぎ、海辺の宿に

バスは予定時刻を5分ほど遅れてやってきた。バスの車内には地元の中学生たちが何人かいて、 私たちも空いた席に腰を下ろした。 降りる予定のバス停までどのくらい時間がかかるのか一人の中学生の女の子に聞くと 「15分ぐらいかな」と教えてくれた。バス停に到着し降りると、雨足はまだ衰えず、 かなり降っている。ここから22番札所「平等寺」までは5Kmほどで、 雨しぶきをあげて自動車が行き交う中、国道の1本道を二人で黙々とひたすら歩き続け、 1時間半ほどで到着した。

平等寺で参拝を終え、境内を歩いていると、前の晩の宿で一緒になった一人の男性に出会った。 時間はすでに午後3時を回っており、その人はこの寺のすぐ近くに宿がとれたので、 今から宿に入るという。私たちも前日、この宿を取ろうと電話したが、すでに満員で取れなかった。 このため、ここからさらに30分ほど電車に乗り、 日和佐(ひわさ)町にある国民宿舎「うみがめ荘」まで行くことになっている。

平等寺から電車に乗るため、JR牟岐線「新野(あらたの)駅」を目指して歩いた。 しかし、行けども行けども駅らしき場所にたどりつかず、何度か地元の人に道を聞きながら、 40分ほど歩いてようやく到着した。電車の到着を待っていると、 1両編成の電車が5分ほど遅れてやってきた。 車内は帰宅する高校生たちでにぎやかく、 空いた席がなかったので仕方なく立っていたが、30分ほどで日和佐駅に到着した。 ここから宿まで2Kmほどだが、相変わらず雨足は強く、疲れもあったので、タクシーで宿まで向かった。

町はずれの海辺にある国民宿舎「うみがめ荘」は4階建てで、建物はやや古くなっているが、 すぐ目の前には太平洋を望むオーシャンビューが広がり、 これ以上ない贅沢な場所に建っている。泊まりの部屋は4階になったが、 「うみがめ荘」にはエレベーターがなく、重い足を引きずって4階まで階段を上るのが辛かった。 今回は別々の部屋が取れたので、 自分の部屋に入るとすぐ濡れたリュックの中の荷物をすべて出した。 雨用のカバーをリュックにかぶせていなかったので、中までかなり雨がしみ込んでいた。 荷物はすべてビニール袋に入れていたものの、衣類等は濡れ、携帯電話にも雨水が入り込み、 液晶画面が少し不具合で見えなくなってしまった。 すぐお風呂場にあったコインランドリーで濡れた衣類を洗濯、乾燥し、 部屋中に広げて干したが、干す場所がなくなってしまうほどだった。

夕食は1階の食堂で、ほとんどがお遍路と思われる20人ほどの泊り客がいた。 料理はカツオのたたきの刺身と黒鯛の鍋料理等で、 値段(1泊2食 6,900円)の割には満足な内容だった。2日間一緒に旅した早川さんは明日の朝、 千葉の自宅へ帰る予定で、今日が最後の夜になる。生ビールで乾杯し、 これまでの旅の思い出を語り合いながら、おいしく料理をいただいた。 部屋に戻ると海辺の波の音がザブーン、ザブーンとよく聞こえてくる。しかし、 その夜は疲れもあって、波の音も子守唄のように聞こえ、いつの間にか深い眠りについていた。



                       別れとまた新たな出会い

まだ薄暗い5時頃、目が覚めた。布団をたたみ、昨日、部屋に干しておいた洗濯物を整理し、 7時には宿を出発するため、すぐ出発できるように準備をした。昨日までの雨はやみ、 雲は多いが今日の予報は晴れで、日中は暑くなりそうな気配だ。朝食を済ませ、 宿のワゴン車で23番札所まで送ってくれるというので、早川さんと二人で7時に玄関を出て車に乗り込んだ。
23番札所「薬王寺(やくおうじ)」まではわずか2Kmほどの距離で、数分で到着した。 まだ早朝のせいか、参拝する姿はまばらだった。 少し小高い丘の上にある境内から街全体が一望できた。 二人で参拝を済ませ、日和佐駅に向かった。彼との旅はこの日和佐駅でお別れになる。

駅舎に着くと、彼に2日間の旅のお礼を言い、 「手紙で旅の報告をします」と住所を手帳に書いてもらった。 彼はここから私とは逆方面の徳島に向かい、新幹線で東京に帰る予定だ。駅のホームに出ると、 ベンチには60代ぐらいの女性お遍路さん、年齢不詳の白髪の外国人男性がイスに座っている。 その女性は東京からやって来たそうで、私と同様にこれから高知方面に向かうと言う。 間もなく高知方面の列車が先に到着し、女性と外国人の三人で一緒に乗り込み、 ここで早川さんに駅で見送られお別れした。

列車は牟岐線の終着駅「海部(かいふ)」に30分ほどで到着し、そこから 阿佐海岸鉄道の列車に乗り換えた。 乗ったのは我々三人だけった。この鉄道は海部、宍喰(ししくい)、 甲浦(かんのうら)の3区間(総延長8.5km)のみを走る第三セクターによる運営で、 車両1両のワンマン運転、車内の天井には LED 電飾が飾られたお花見列車だった。 すべて高架式の軌道を電車は走り、わずか10分で高知県に入り、終点「甲浦駅」に到着した。

                                    いよいよ修行の道場「土佐」入り

お遍路の行程では、ここからは 修行の道場「土佐と呼ばれている。甲浦駅に到着した我々は、ここから定期バスに乗り換え、 高知県の室戸岬をめざす予定だが、時刻表を調べると出発まで40分もまだある。 私が片言の英語で白髪の外国人男性に聞くと、オランダのアムステルダムから一人旅で観光を楽しんでおり、 名前はレオといい、これから高知、広島、長崎を観光して、あと2週間ほど滞在するそうだ。 もう一方の女性は東京の八王子市から1週間前に一人やって来て、高知まで回って帰る予定という。 駅舎には別の一人の男性お遍路さんが、待合室に先に座っていた。彼はこの3月に定年退職し、 北海道の日高町からやってきたそうで、4月1日に飛行機で四国入りした。これから我々と同じバスに乗って、 室戸岬をめざすという。天気もすっかり良くなり、これから歩くと少し暑くなりそうだ。

ほぼ定刻にバスはやって来た。我々四人がバスに乗り込んだが、車内は我々四人だけの貸切りだった。 室戸岬まで約40Kmあるが、途中のバス停で何人かの地元の人達も何人か乗り込み、 バスは太平洋の荒波が白く打ち寄せる国道55号線の海岸線をひた走り、 40分ほどで目的地「室戸岬前」のバス停に到着した。我々三人はここで降りたが、 レオはもう少し先のバス停で降りるとのことで、ここでお別れした。

次の札所へ行く前に、 お遍路さんならだれでも寄って行きたい所として「御厨人窟(みくろど)」がある。 バス停から5分ほど歩くと、険しく切り立った崖の下に小さな鳥居が見えてきた。 鳥居の奥には岩窟があり、内部にはろうそくの明かりだけがともる祠がある。 ここは霊場を開いた弘法大師・空海が、19歳のときに苦行を積み、悟りを開いた地とされる所だ。 24番札所を訪れる前に、多くのお遍路さんがここを訪れる。 弘法大師はここから見た空と海から、のちに「空海」の名を得たと言われている。この洞窟に入ると、 厳かな気持ちになり、1200年の時を経て、今もなおお遍路さんの心を引きつける。

ここから再び24番札所「最御崎寺(ほつみさきじ)」をめざし、歩き始めたが、 同行の二人は他に見たい所があると言い、ここで別れた。ここから最御崎寺までは1Kmほどだが、 灯台の展望台の下から上がる遍路道はかなり険しい坂道だ。日差しが少し強くなり、 かなり汗をかきながらも、30分ほどで到着した。参拝を済ませ一休みしていると、 先ほど別れた二人もやって来て再会した。
三人で寺から岬へ下ると、1軒だけポツンと建つ「まぜ」という喫茶店があった。 時刻もすでに12時を回っており、私はお腹も空き、ここで昼食をとることにしたが、 二人は先を急ぎたいと、ここで別れることにした。 今夜の宿は三人とも25番札所「金剛頂寺」の宿坊を予定しているので、宿での再開を約束した。

喫茶店の入り口には営業中とあったが、客はだれ一人いなかった。「こんにちは」と声をかけると、 店の奥から60代ぐらいの女性のオーナーが出てきたので、カレーとコーヒーを注文した。 大きなガラス窓からは岬の海岸がよく見え、私は日差しが差し込む窓際のいちばん奥の席に座った。 出来上がるまで、ご主人といろんな話をしていると、別の男性お遍路さんが入ってきた。 私と同年代ぐらいで、彼は少し離れた席に座り、うどんを注文した。 聞くと愛知県碧南市からやって来たそうで、地元が同じとわかり、お互い驚いた。 1時間ほどで食事を済ませ、二人で店を出るとすぐ前にはバス停があり、 私がここからバスで札所近くまで乗っていく予定だと話すと、 彼は2度目の歩き遍路が目的なので歩いていくと言い、ここで別れた。

私は再び定期バスに乗り、20分ほどで「室戸市役所前」というバス停に降り、 15分ほど歩いて25番札所「津照寺(しんしょうじ)」に到着した。津照寺は街の中に建つ寺で、 狭い境内には意外と大勢の参拝者がいた。するとその中に、 おとといの宿「金子や」で一緒だった20代の外国女性の姿があった。元気そうだったが、 声をかけることなく、参拝を終え、次の札所へと向かった。

                                    宿坊は快適で、料理も最高だった

今日、最後となる26番札所「金剛頂寺(こんごうちょうじ)」までは約4Kmの道のりで、 30分ほどで街を抜け、田畑の広がる山手の脇道へと遍路道が続く。しばらく行くと山道となり、 やや傾斜のきつい道が続き、山の頂上にようやく山門が現れた。境内は意外に広く、 どっしりとした立派な本堂が建つていた。参拝を終え、境内の階段を下りてくると、 室戸岬で一緒に同行した二人と再会した。再会を喜び、今夜の宿「宿坊」へと一緒に歩いて行った。

私にとって2回目のお遍路旅になるが、初めての宿坊泊まり。 もっと古めかしい建物だろうと想像していたが、お寺が運営するお遍路用のホテルという趣で、 18畳ほどの和室の部屋に一人で入り、とてもきれいで快適だった。お風呂も大きく、 何とジェットバス付きだった。さらにみんなで食べた夕食は、とてもおいしかった! 大皿に刺身の盛り合わせ、天ぷらなどがつき(精進料理ではない)、この値段(1泊2食、6,800円)は、 最高だった。北海道から来た彼と一緒にビールまで頼んでしまい、お腹いっぱいで食べきれなかった。 部屋に戻ると疲れも出てきて、眠くなった。明日の朝は、6時からお勤めの予定もあり、 すぐ布団を敷いて眠りについた。



北海道の男性と一緒にお遍路

部屋の外から聞こえる鳥のさえずりで目を覚ました。時計を見ると、まだ4時半頃だったが、 今日は朝6時から朝の「お勤め」があるので、ふとんをたたみ身支度を整えた。 15分前に部屋から廊下に出ると、他の遍路さんたちと一緒になり「お勤め」のある本坊へ向かった。 全員がそろい6時ちょうど、住職によるご祈祷が始まり、全員で「般若信経」を唱えた。 お勤めの後、法話を10分ほど聴き、30分ほどで終了した。
そのまま全員で、すぐ食堂へ向かい朝食となった。朝食はあさりの味噌汁、焼き魚等がつき、 食後のコーヒーもあり旅館の朝食と変わらなかった。
北海道日高町からやって来た彼(名前が渡辺さんだとわかった)と並んで食事し、 次の27番札所まで一緒に歩くことにした。

7時過ぎに渡辺さんと二人で一緒に宿坊を出て、すぐに遍路道に入ると、山道を下った。 昨日から渡辺さんが足を痛めていて「大丈夫?」と私が聞くと、 「何とか歩けます」とゆっくりと下って行き、20分ほどで真下の国道55号線へ出た。 すぐ目の前には道の駅「キラメッセ室戸」があり、 道路沿いのバス停から「奈半利(なはり)駅」行きのバスに乗り、そこから鉄道に乗り換え、 「唐浜(とうのはま)駅」で降り、27番札所「神峯寺(こうのみねじ)」へ向かう予定だ。

               

                                       かわいい漫画の電車に乗ってお遍路

バスの出発時間まで40分ほどあり、同じ宿坊で泊まった他のお遍路さんもやって来て、 5名がバスに乗った。20分ほどで奈半利駅に到着、 土佐くろしお鉄道「ごめん・なはり線」に乗り換えた。この鉄道は、 高知県出身の漫画家「やなせたかし」さんがデザインしたマスコットキャラクターを各駅や電車に採用している。 ちなみに「奈半利駅」は「なはりこちゃん」というキャラクターが駅のマスコットになっていた。 電車は1両のみだが、キャラクターがいっぱいデザインされたかわいい電車に乗り、 10分ほどで3つ目の駅「唐浜駅」に到着し、 駅のマスコット「とうのはまへんろくん」が我々を出迎えてくれた。

この駅から神峯寺までは4Kmほどあり、なだらかな道を2Kmほど行き、 続いて傾斜のきつい山道に入ると、一緒に歩いていた渡辺さんの足が再び痛みだした。 私と少しずつ遅れだし、私が待っていると、「マイペースで行きますので、 先に行ってください」というので、「じゃぁ、上で待っています」と言って、 私は先に登り出した。頂上付近の遍路道は自動車も走る道に合流し、 車をよけながら2時間ほどで到着した。

私が神峯寺の参拝を終え休憩して待っていると、30分ほど遅れてやっと渡辺さんが到着した。 「足は大丈夫ですか?」と私が聞くと「ありがとう。何とか登って来られたけど、 少し休んで私も下ります。帰りの電車の時間もありますので、 遠慮せずにどうぞ先に行ってください」と渡辺さんは言う。ここから再び同じ道を下り、 「唐浜駅」まで戻る予定だが、彼の足の状態が心配だ。しかし、 「ゆっくりと下りて行けば大丈夫。ご心配はご無用」と言うので、私は先に下りて行った。 帰りは下り道ばかりで、かなり早く駅に着いた。次の電車の発車まで30分ほどあり、 待っていると20分ほどで渡辺さんもやって来た。「何とか間に合いましたね。 よかった」と私は喜んだ。

再び電車に乗り、次の札所のある「野市(のいち)駅」へと向かった。しかし、 今夜泊まる宿はお互いに別々な所を予約していたので、渡辺さんとは次の駅がお別れとなる。 渡辺さんは今回のお遍路を通し打ちで回る計画で、まだまだ先が長い。 「これからも気を付けて、回ってください」と私が言うと、「全部、 終わったら連絡します」と彼が言い、互いの住所を書いたお札を交換した。野市駅に着き、 渡辺さんは宿のある方向へ、私は次の札所のある方向へと向かい、手を振って駅で別れた。

駅を出てすぐの駐車場で私が次の札所の方向がわからず、 停車中の車のそばにいた70代ぐらいの男性に道を尋ねると「その札所なら我が家のすぐそばだよ。 女房が今の電車で来ると思って駅まで迎えに来たが、乗っていなかったので、 また自宅まで戻るところなので、よかったら乗せてあげるよ」と言われた。 私はちょっと考えたが、「じゃあ、お願いします」と言って、乗せてもらうことにした。 10分ほどでその男性の自宅に到着し、そこから50m先に札所の山門が見え、 「気をつけてお参りください」と言っていただき、私も丁寧にお礼を言って歩き出した。

歩いて5分ほどで28番札所「大日寺(だいにちじ)」に到着した。すでに時刻も午後3時を回り、 境内の参拝者もまばらだった。参拝を終えると、再び先ほどの駅へと向かて歩き出した。 車なら10分ほどの距離だったが、歩くと40分ほどかかって駅近くまでやって来ると、 反対側の信号待ち1台の車の中から手を振る姿があった。 よく見ると先ほど札所まで乗せて行ってくれた男性だった。隣には奥さんが乗っていて、 再び駅まで迎えに行って、自宅へ帰る途中のようだ。私は少し大きな声で「先ほどは、 ありがとうございました!」と頭を下げ、手を振ると、その男性も手を振った。

今日予定の札所はこれですべて終わり、野市駅から再び電車に乗り、 終点「御免(ごめん)駅」に到着した。駅はJR土讃線との接続駅で、 駅前からにぎやかな通りに出て、歩き始めてしばらくするとポツリポツリと毛のような雨が降り出していた。 歩いて15分ほどで今日の宿、「南国ビジネス・ホテル」に着いた。部屋は4階で広さは4畳半ほどで、 たばこ臭さいのが気になった。このホテルには部屋のバスしかなかったので、さっそく入浴し、 1階のレストランで6時頃夕食をとった。泊り客にお遍路さんらしい姿はなく、 食事をしながら翌日の計画を立てた。部屋にもどると、リュックの荷物を整理し、 テレビを見ながらベッドで少し横になると、窓の外からは雨の降る音が聞こえてくる。 明日の天気も、再び雨の予報になっていて、少し気が重くなった。しかし、 久しぶりのベッドのせいか、横になってしばらくたつと深い眠りに落ちていた。



再び雨の日のお遍路

朝5時に目が覚めた。まだ暗いホテルの窓ガラスに、雨のあたる音がする。 ベッドから起きて身支度を整え、1Fレストランで朝食をとり、7時過ぎに1人でホテルを出た。 雨はそこそこ降っており、フード付のウィンドブレーカーを着て、傘をさして、 約1Km先のバス停まで向かった。今日は雨のため、なるべく定期バスをうまく使って移動し、 29〜32番札所の4箇所を回る予定だ。

5分ほど遅れてきたバスに乗り込み、 そこから3Km先の29番札所「国分寺(こくぶんじ)」に近い国道沿いのバス停で降りた。
そこから歩いて10分ほどで山門に到着した。まだ8時を過ぎた朝の早い時間のせいか、 参拝する人影はまばらだった。ちょうど本堂に上がる階段を修復中で、 工事用の板で作られたスロープを上がって参拝し、次の30番札所へと向かう。

まだ雨は降り続いているが2Km先のバス停まで歩き、30分ほど待って再びバスに乗った。 高知大学のキャンパスを車窓に見ながら、 次の30番札所「善楽寺(ぜんらくじ)」付近のバス停で降りた。 15分ほど歩き、境内に入ると雨足がやや強くなり、 本堂前で線香とロウソクに火をつけようとしたが、雨にぬれ、 つけるのに苦労した。 参拝を終え、今度は電車に乗るため、ここから1kmほど先の駅へと向かって歩いた。 15分ほどでJR土讃線「土佐一宮(とさいっく)駅」に到着。 20分ほど待って、やってきた電車に乗って高知駅へと向かった。

                          外国人レオと高知駅で再会

20分ほどで高知駅に到着した。電車から降りるとちょうど雨も止み、 市内の定期バス路線図と時刻を調べるため、駅前にあった観光案内所「とさてらす」へと向かった。 ここは市内の観光情報誌やパンフレットがすべて手に入る便利な施設だった。 案内所の女性に、30番・31番札所方面の定期バスのルートを尋ねると、 「MY遊パス1日券」(千円)を使って回ると便利だと教えてもらった。さっそく切符を購入し、 バスの乗車時刻を調べるとまだ40分ほど時間があった。すでに12時も過ぎお腹も空いていたので、 駅構内の喫茶店に入り、ランチセットを頼んだ。食べながら遍路地図を見ていたら、 1人の外国人旅行者が店内に入ってきた。顔をよく見ると、 何と室戸岬まで一緒に旅したオランダ人のレオだった。

彼は私の席の近くまでやって来たので、 私が「ハロー!ドゥユー、リメンバー、ミー」と言うと「オー、イエス」と彼が応え、 やっとわかってもらえた。隣の席に彼も座り、無事再会できたことを喜びあった。 思いつく英単語をいろいろ駆使し、(うまく通じたかどうかわからないが)今後の予定を聞いた。 彼はたった今、高知駅についたばかりで、午後から市内を回って、明日、 広島へ向かう予定らしい。10分ほど彼と話したが、バスの出発時刻が近づき、 私が今から札所回りのバスに乗ることを彼に説明し、「グッドラック!」と言って別れた。

2度目の遍路旅をしている男性と出会い

駅前のバス乗り場から、「土佐桂浜」方面の観光バスに乗り込んだ。 「MY遊パス1日券」を使えば、市内のバスはすべて乗り降り自由で、 これから31・32番札所の2箇所を回り、ついでにその先の桂浜まで足を延ばし、 再び駅まで戻って来る計画だ。
バスには何組かの観光客とお遍路さんの白装束を着た2人が乗車した。 出発して10分ほどで31番札所「竹林寺」に到着し、乗客の多くがここで降りた。 小雨が降る中、竹林寺の入り口に足を一歩踏み入れた途端、 山門から見上げたコケの石段が目に飛び込んできた。 石段の上ではちょうど結婚するカップルの写真撮影が行われていた。

雨に濡れた石畳を歩き境内に入ると、木々の新緑が、いっそう鮮やかな色彩を放ち、 「雨の日にここを訪れたことの幸運」を感じた。境内にある本堂、 五重塔などの建物と周りの木々とが見事に調和している風景を眺めていると、 まるで京都に来ているような錯覚を覚えた。
参拝を終え、本堂の奥にある有料の庭園見学コースを回っていると、 同じバスに乗りあわせた男性のお遍路さんが後からやってきた。 「素晴らしい庭園ですね」と私が声をかけると、「本当にそうでうね」と彼も応え、 一緒に見学しながらいろいろと話した。

境内の出口から出るとすぐバス停があった。 そこにはもう一人の70歳代ぐらいの女性お遍路さんもバスを待っていた。 一緒に定期バスに乗りこみ、10分ほどで札所近くのバス停に着いた。 このバス停から32番札所「禅師峰寺(ぜんじぶじ)」までは3Kmほどの道のりだ。 ちょうど雨はやんでおり、女性のお遍路さんは真っ先にバスを降り、 我々二人の先をどんどん歩きだした。かなりの早足で、我々との距離は徐々に広がり、 しばらくするとやがてその姿が見えなくなった。

ところで無口そうに見えた彼、実はとても話好きで、札所まで40分ほどの道中、 ずっと話をしながら歩いた。彼は東京方面から来て、年齢は73才、名前は長田といい、 人生2度目の遍路旅にやってきたそうだ。旅に出る際、 奥さんには自分が用意した額と同じ額の現金を渡し、 「あんたの金だから好きなように使っていいよ」と言って出て来たそうだ。
禅師峰寺に到着し、参拝し終わった後、ちょうど居合わせた観光客の方に、 境内の中で私のカメラで、長田さんと一緒に記念写真を撮ってもらった。 また同じバス停まで戻る帰り道も、同じように長田さんの話ではずんだ。

バス停までやって来ると、早足で先を歩いていった女性お遍路さんもすでにバスを待っていた。 その女性は今日、東京方面からやって来たばかりで、2、3日の予定で札所を回ると話してくれた。 到着したバスに三人で再び乗車し、15分ほどで桂浜に到着した。
長田さんは今回の遍路旅も「通し打ち」で札所を回っていて、 ここから2kmほど先の33番札所へ歩いて向かうため、ここでお別れすることになった。 私が「これからも気をつけて回ってください」と言うと、 「ありがとう」と頭を下げて歩いて行った。すでに時刻は午後3時を過ぎ、小雨も降りだし、 桂浜の海岸を歩く観光客の姿はまばらだった。私も30分ほど海岸付近を散策した後、 再びバスに乗り、高知駅へと戻った。

駅には5時過ぎに到着し、駅から歩いて5分ほどの和風ホテル「吉萬」にチエックインした。 部屋へ荷物を置いて、フロントに部屋のカギを預けるとすぐ、駅前の旅行代理店へ向かった。 今日で予定した札所をすべて回り終え、明日、帰ることになる。このため、 明日の大阪までの高速バスと名古屋までの新幹線の切符を手配した。旅行代理店を出て、 しばらく高知の街を散策し、駅前のレストランで夕食を食べ、ホテルに戻った。 ホテルの露天風呂に入りながら、旅で出会った人たちとの思い出を振り返り、9時頃、 ベッドで眠りに就いた。



                                       外国人レオと高知駅で最後のお別れ

朝食を済ませ、8時ごろチエックアウトし、ホテルを出た。小雨が降る中、 高知駅前には幕末の英雄、3志士の像が立ち、行き交う人たちを見下ろしている。 高さ3mほどあり、てっきり銅像かと思ったら、 何と内部は発砲スチロール製で表面は特殊ウレタン加工だという。

高速バスの出発時刻の10時までまだ時間があるので、 帰りのおみやげを買いに駅構内のおみやげ店に入った。数多くの商品があり、 どれを買おうかかなり迷ったが、「芋けんぴ」、銘菓「かんざし」、 「ゆずドレッシング」を買い求めた。店から出てうろうろしていると、 室戸岬までバスで一緒だった東京の女性お遍路さんにばったり出会った。 「こんにちは」と私が声をかけると、「あらまあ!こんにちは。お元気そうで」と彼女も応え、 その後の旅の様子を語り合った。彼女も今日で東京に戻るとのことで、 これから電車に乗る所だった。「それではお元気で」と言ってお別れした。

まだ少し時間があったので、駅の待合イスまで歩いていくと、 何とオランダ人のレオがイスに座っていた。私もびっくりしたが、彼もびっくりし、 私は彼の隣の席に腰を下ろした。再び流暢な英語(?)を駆使して話しかけると、 これから彼は特急に乗って岡山まで行き、そこから広島へ向かう予定らしい。 最後にお互いのカメラで隣にいた若者にツーショット写真を撮ってもらい、 改札口で彼を見送った。私もバスの出発時間になり、 バスターミナルから新大阪行きの高速バスに乗り、高知を後にした。

雨でぼやけたバスの車窓から、遠ざかっていく鳴門海峡を眺めていると、 今回のお遍路旅の思い出が走馬灯のように思い出された。旅で出会った多くの人達、 あの人たちとは再び会うことはないだろうが、 その「一期一会」は忘れることのできない思い出となった。 3度目の旅はいつになるかわからないが、 機会を見つけて再びこの地にやってきたいという思いはさらに強くなった。 楽しかった思い出の余韻に浸りながら、バスは新大阪に午後3時過ぎに到着。 そして新幹線で名古屋へ戻り、帰宅の途に就いた。
(おわり)  

05/30/2015  





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