結婚について書いていて、夫にプロポーズされたときのことを思い出しました。 1986年のお正月休みも終わったある日の夜、私たちはホテルフジタ京都のすてきなバーで飲んでいました。 酔っていたのか英語のせいか、思いもしなかったからなのか、私、夫の言葉がプロポーズだとはわかりませんでした。 席をはずし戻ると、夫は、一般的な結婚の話ではなくプロポーズしているのだと言いました。 私はOKしました。

想い出のホテルフジタ京都は2011年に営業を終了しましたが (その跡地にザ・リッツ・カールトン京都がオープンしたようです)、 私たちの結婚は続いています。当時の私は「結婚って、好きな人とすることなの」としか考えていませんでしたが、婚姻届を出したことで、 私たちにとって非常に重要なもの、結婚の要の一つであるビザ(滞在許可証)を取得できました。

夫の場合: 私を身元引受人として、夫はまず就労制限無しの配偶者ビザを、10年ほど後に永住許可を得ました。 夫が私の家族専従者として働くことができたのは、結婚=配偶者ビザのおかげです。 配偶者ビザのときは1〜3年ごとに入国管理局で更新手続きをしましたが、今は在留期間(終了)はなく、 前回述べた在留カードの切り替えが7年後にあるだけです。

こちらのビザについて、
在留資格「日本人の配偶者等」(結婚ビザ)を取得するには? というサイトがあるので、興味があればどうぞ。余談ですが、このページを読んでいたら、 提出書類のひとつに「相手国発行の婚姻証明書 1通」とありました。戸籍編で述べた「結婚証明書セット」が、 ビザ取得という本来の目的のためにも使われたのですね・・・

ちゃたーの場合: 今は亡き義母グレィスと暮らすためにアメリカに移住を決めたとき、 私はアメリカ大使館に移民ビザを申請しました。指定病院での健康診断書、警察本部鑑識課からの犯罪経歴証明書、 大使館での面接などもあり大事でした。でも、移民ビザのための書類一式を持って空港で入国審査を受け許可された時点で、 私に米国永住者の資格が与えられたので、私たち三人は離れ離れになることなく暮らすことができました。

ビザ余談: 移民ビザですが、アメリカ国籍や永住権を持つ家族がいなくても合法的に取得する方法があります。 それは米国抽選永住権プログラムに応募することです。 「コトバンク」によれば:

米国抽選永住権プログラム(Diversity Visa Program )とは、年に1度米国国務省にてアメリカの移民許可の割合が低いと判断された国 (現在、日本生れの移民は少ないとされています) の国民を対象に米国永住権(グリーンカード)が抽選にて発給される。 DV と略される場合もある。

就労ビザや就学ビザにはスポンサーが必要で、滞在期限もあります。 でも資格要件を満たしている当選者には、永住者としてアメリカで生活する権利が与えられます。 市民権を持つアメリカ人との法的な違いは選挙権の有無くらい。ただ出入国は自由ですが、 当然のこととしてアメリカに生活の拠点を持つことが必要です。 (ついでながら、日本で生活しているので、私の永住権は失効となっていると思います。戸籍や住民票のことでは不満も言いましたけど、 それはそれ。私にはストレスが多く疲れるアメリカより、自国での暮らしが一番。夫も日本が好きですし、もう移民ビザなどいりませぬ。)

ところでこのプログラムを最初に知ったとき、私、冗談でしょ、と思いました。でも実際にロサンジェルスのコミュニティ・カレッジで、 コンピュータクラスで出会ったエジプト人女性から、抽選に当たったので一家でアメリカに移住したと聞き、 本当だったんだとびっくり。抽選で永住権を与えるなんて、発想がおもしろいですよね。 アメリカ大使館の ビザサービス のページ(日本語)では、この Diversity Visa Program 移民多様化ビザ抽選プログラム と訳されています。 アメリカの多様性と公平さという価値観は移民政策にも反映されている〜と、今度は懐の深さに驚いたことでした。 このプログラムに興味のある方は、まず上記のビザサービスをクリックして内容をご確認くださいね。

余談が長くなりましたが、では私たちの結婚シリーズの最後に、タイトルにある英語 interracial のことを。

私たちの結婚はいわゆる「国際結婚」ですが、私、この表現は苦手です。私たちが今は亡き、 ハリウッド女優であったグレース・ケリーとモナコ公国レーニエ大公のようだったら気にしませんが、 その言葉の響き、普通人の私たちには華やすぎます。そこで私はこう考えたんです。夫の外見は日本人と違うし、 文化も違うといえば違う。私たちは異人種だ。だからあえて言うのなら、これは「国際」ではなく「異人種間の interracial」結婚なのだ、と。 でも実は結婚にこんな名前は必要なかったのかも・・・と今、最後になって思ってもいます。

9/20/2015    




夫と私は今年のゴールデンウィーク直前に、あおなみ線に乗って名古屋競馬場前に行きました。 用があったのは競馬場ではなくて名古屋入国管理局。2012年7月9日に外国籍の人の登録制度が変わるので、 該当者は3年以内に「在留カード」を交付申請するように、と西尾市から夫宛に通知があったのですが、 急ぐこともないし、と時の流れに身を任せていたら3年経ち、 入国管理局から「期限前の込みあう前に早く手続きを済ますように」とはがきが届いたのでした。

入国管理局と聞くと怖そうですが窓口の職員の方は皆若く丁寧で、更新手続きは無事終わりました。 在留カードの件が片付いたので新制度のことは私の頭から消えました。 名称が変わっても中身は旧登録法と同じだろう、と思っていましたから。

旧登録法では、外国人と日本人の家族とは世帯が分けられていました。私たちの場合も、 夫は「外国人登録(原票記載事項証明書)」、私は「住民登録(住民票)」でそれぞれぞれが世帯主。 家族全員の住民票には私の名前しかなく、私は独身扱いでした。 (西尾税務署が住民票を見たとすれば、私たちを家族と思わなかったとしても仕方ないかも。) 我が家には各世帯へのお知らせが2通届きました。旧幡豆町役場から、 町内会長さん経由で同じものが届いたときにはびっくりしましたが、 それはともかく制度上の結婚をしているのに、 夫が外国人だからという理由で私たちを同一世帯(家族)とみなさない歪な登録制度に、私、 関心がありませんでした。

ちなみに、旧住民票では夫は存在しなかったのか? と言えば、実はまたもや、 履歴付住民票を請求すれば、「事実上の世帯主は(夫の氏名)」との記載がありました。 このことを知ったのは、私たちが神戸市に住所変更届けを出したとき。 親切な区役所の住民課の方から「そうできますよ」と言われ、さすが国際都市神戸、 市役所の職員も外国人との結婚への理解と事情への配慮があると感激し、 その後住所変更の際には、私、嬉々として「事実上の世帯主は・・・」を入れてもらいました。 もちろん旧幡豆町役場でも。

本当に、たまたま「私たちの結婚」で戸籍に続いて住民票についての記事を書こうと思わなかったら、 私は未だに登録制度を理不尽なものと信じていたことでしょう。8月11日、 新しい住民票を見ておかなければと考えた私は幡豆支所に出かけ、私一人しか記載されていないはずの、 家族全員の住民票を請求し・・・びっくり!・・・なんと!!・・・私は一人じゃない?! ・・・英語での表記ではありますが世帯主には夫の名前が記載されています。 その下に夫の名前(「続柄」は世帯主)があります。 夫の欄の下には私の名前が「続柄」を妻として一目瞭然に置かれています。

家に帰り、急いで西尾市からのお知らせを取り出して読みました。
『外国人登録法が廃止され、住民票が作成されるようになります。』
『今までは在留資格に関係なく外国人登録できましたが、7月9日以降は住民登録できる人が限られます。』 とあります。(在留カードは単に外国人登録証からの切り替えではなく、 その名のとおり在留資格が記載された、中身の異なる身分証明書ということです。) そして最後の3ページめに、なんと 『また日本人と外国人の混合世帯でも世帯全員が記載された「住民票の写し」が発行できるようになります。』 と明記されていましたぁ!!!

3年前、全く私は何を読んでいたのでしょうか。思い起こせば夫が世帯主になっているのも、 新制度への移行の時期に西尾市から電話があり、 「世帯主はどちらになさいますか」と聞かれて「夫にしてください」と答えたからです。 結婚して29年(登録制度が変わるまでの26年間)、私たちは旧登録制度上で事実上の関係だったので、 質問内容も、私の住民票で婚姻関係を示す唯一の表現である『事実上の』世帯主のことだろう、 くらいに思っていたのか、何も考えていなかったのか。 その電話での問い合わせが『一般的な』意味での世帯主だったこと、今初めて知りました。

夫は今では永住者として西尾市に住む『外国人』ではなく、永住者として西尾市に住む『住民』です。 革新的な新制度のもと、めでたく住民票で籍が入ったんです。でも、 それでも私は気になることがありました。それは「新しい住民制度では、 夫(私たち)は日本人と変わらぬ扱いが受けられるようになったのか」ということ。 間の抜けた質問と思われたかも知れませんけど、市役所の方から「そうです」とのお返事を聞けて、 私、とても嬉しかったです。

では今日の最後に。戸籍や住民票の記事での、結婚や入籍という表現を不快に思う方もおられるかもしれません。 そこには、私たちは日本人家族と同じように暮らしているのだから、 同等に扱われたいという私の気持ちがこもっているとご理解いただければ幸いです。 私たちにとって、結婚には別の重要な側面もあるのですが、それは次回に。 これで「悲しみと喜びに満ちた混合世帯における住民登録制度」のお話は終わりにいたします。

9/7/2015    




こんにちは。最後の登場は4ヶ月前、というご無沙汰ちゃたーです。 私、夫との結婚について書いてみようとと思います。今日は戸籍編。読んでね。


私の夫はアメリカ人です。私たちは京都で出会い結婚しました。 1986年でしたから、今から29年前。 Time flies. といったところでしょうか。

実は結婚を決めたとき、私たち、結婚の仕方がわかりませんでした。 そこで夫は東京のアメリカ大使館に問い合わせ、指示どおりに必要な書類をそれぞれ準備し、 神戸中央区役所と神戸アメリカ領事館を行き来して(当時は大阪ではなく神戸に領事館がありました)、 両国での合法的な婚姻手続きを終えました。

今私の手元には、中央区役所からの婚姻届受理証明書のコピー、その婚姻証明書の英訳、 そしてその英訳が正式なものであると書かれた英語の証明書があります。 それらは3枚一組で、左上にあけられた2つの穴に2本のリボンを通して閉じられています。 リボンは7mmほどの幅で、下まで届く長さ。その赤いリボンは最終ページの上で2本線となっていて、 下のほうで、赤くて縁がきざきざした大きな丸いシールで止められています。 司法省かどこかのマークのようなものが浮き出ていて、ちょっと華やかな感じです。 ひょっとしてお祝いの気持ちがこもっているのでしょうか。

この婚姻証明書セットですが、実際に使ったことがあります。一つは私のパスポートを更新したとき。 私は日本名とアメリカ名が違います。海外旅行では夫の名前を使いたいので、 パスポートにアメリカ名を併記してもらいたくて持参しました。

もう一つは西尾税務署です。私は個人事業主で、夫は私の専従者(家族従業員)。 その前に住んでいた岡崎では何も言われませんでしたが、 こちらに移ってからしばらくすると、西尾税務署から電話が入りました。 夫に家族従業員としての資格があるか、つまり正式に結婚しているかどうか、の確認のようなので、 私は婚姻証明書セットの一部をコピーして郵送しました。

「ちゃたーさん、なぜ戸籍謄本を送らなかったの?」と思われた方。

私の夫は永住者の資格を取得していますがアメリカ人なので(日本国籍、つまり戸籍がないので)、 私は入籍できません。また、戸籍のない夫を日本人配偶者である私の籍に入れることはできません。 実際、結婚により作成された私の新戸籍(戸籍謄本)には、父・母に並んで妻(私ですね)はありますが、 「妻」の隣に「夫」はありません。履歴欄に夫の国籍、氏名(生年月日)が記され、 婚姻届出がなされたことが記されているだけ。

結婚後私の知り合いに、この戸籍表記について話したことがあります。 そのとき「戸籍からすると、なんか、ちゃたーの夫の立場って、 マダム・バタフライ、蝶々夫人的だね」みたいなことを婉曲なしに言われ、戸籍上は、私たちって、 世間でいうところの「きちんと籍に入っていない」関係なのね、と知りました。

夫婦別姓だからか他の理由からか知りませんが、西尾税務署から問い合わせたあったとき、 私は複雑な思いを抱いたのかもしれません。結婚≠入籍という私たちの場合、 私の戸籍謄本は婚姻の証明にならないかも、婚姻届受理証明書なら「よってここに法律上、 婚姻は成立したこととなる」と明記されてるし、と、だから私はそちらを税務署に送ったのでしょう。 「どちらでも同じと思うけど。ちゃたーは、 戸籍を取り寄せるのがめんどうだっただけじゃないの?」と思われようとも、 ともかくそれ以降、税務署とは何の問題もありません。

「じゃあ、住民票ではどうなっているの?」

虫眼鏡で見ない限り、当時の私は独身の一人世帯。このお話は次回にいたしますね。

8/25/2015    




 夏の夜空を眺めていると、坂本九さんが歌った歌「見上げてごらん、夜の星を」を思い出し口ずさむ。 今から30年前、1985年(昭和60年)8月15日に日航機墜落事故で還らぬ人となった。 そんな歌を口ずさみながら、私は時々、夜空に浮かぶ数々の星を眺め、 果てしない遠い宇宙に思いを馳せる。折しも今、日本の夜空にはペルセウス座流星群がやって来ている。 遠くに見える星の数々の光は、人類が誕生する前、あるいは地球が誕生する以前に放たれた光で、 ようやく地球に届いていると思うと、人の営みなど宇宙の世界では一瞬の出来事なのかもしれない。

 10年ほど前までは宇宙旅行なんて遠い夢と思っていたが、すでに日本国内でも
クラブツーリズム が宇宙旅行の参加者募集を始めていることはご存じだろうか。 実施年は、2015年以降に運航開始予定。(出発地:米国ニューメキシコ州、宇宙港「スペースポートアメリカ」。 参加料金は一人あたり25万米ドル(宇宙旅行フライト費用と3日間の準備訓練費用を含む)、 参加条件は18歳以上で一般的に健康な方(年令の上限なし)。私もお金、暇、勇気、 体力があったら挑戦したいところだが、真っ先にそんなお金がないのは残念だ。

 つい先月の14日、 アメリカの無人探査機「ニューホライズンズ」が打ち上げられてから9年半の旅を経て、 史上初の冥王星へ接近、送られてきたその神秘の星の姿を写した数々のニュース写真に私は釘付けになった。 (写真=接近中のニューホライズンズが約 76 万 6000 km上空から撮影した冥王星。 白っぽいハート形の模様が正面に見える = NASA 提供)

 昔、学校の教科書では太陽の周りを回る惑星を「水、金、地、火、木、土、天、海、冥」と習った。 冥王星は1930年に米国の天文学者クライド・トンボーによって発見されたが、 奇しくもニューホライズンズが打ち上げられた同じ年の2006年8月、 世界天文会議で、 惑星の定義を満たしていないということで「準惑星(じゅんわくせい)」という新しいグループに定義され、 この結果、惑星は8個になり、現在の教科書も書き変わってしまった。

 今から47年前、日本で公開されたSF映画「2001年宇宙の旅」では、 宇宙船ディスカバリーが木星を目指す宇宙の映像が特殊撮影でスクリーンに描かれ、 驚きと興奮で見たことを今でも思い出す。その木星よりもはるか遠い、 太陽系で最も遠い星「冥王星」の実写真が生きているうちに見ることができるとは、夢にも思わなかった。 今回の冥王星探査は太陽を回る軌道上、地球との距離約50億kmの地点の最接近で、 ジェット飛行機で 600年以上もかかる距離を、 秒速約14キロの探査機「ニューホライズンズ」で9年半かかったことになる。 月面に人類最初の一歩を記した「アポロ11号」は、月に着くまで約102時間(4日と6時間)かかっている。 そしてNASA は2025年ごろを目指して、有人の火星探査を計画中だ。しかし、 火星と地球の距離は最接近したときでも、約 5500万kmも離れており、月の140倍以上の距離になる。 現在の技術では、約 250日(8ヵ月)かかり、地球を出発してもどってくるまで2年近くもかかる計算になる。

 ところでこれまでに人類がロケットで打ち上げた人工物体で、地球から最も遠い距離に到達しているのは、 1977年に打ち上げられたボイジャー1号だ。冥王星軌道を1990年に通過し、2004年11月に太陽系を脱出、 その旅は今もなお続いている。現在は星間にいて、 およそ4万年後にへびつかい座まで1.6光年の地点を通過する予定で、 現在も190億km離れた距離から地球に信号を送り続けている。しかし、 信号が地球に届くまでにかかる時間は17時間以上かかるというから驚きだ。

 このボイジャー1号には、地球の生命や文化の存在を伝える音や画像が収められた ゴールデンレコード (Voyager Golden Record) が積み込まれていて、 地球外知的生命体や未来の人類が見つけて解読してくれることが期待されている。しかし、4万年後、 ボイジャー探査機が太陽以外の恒星(1.6光年離れた地点)に到達し、地球外知的生命体(宇宙人)がいて、 黄金のレコードを発見した時、地球が存在し、人類は生き延びているのだろうか。

 冒頭に紹介した宇宙旅行は、まだ宇宙体験の段階に過ぎないが、月旅行ぐらいができる時代も、 そう遠いことではないだろう。しかし、宇宙旅行で最も厄介なのが、「時間」と言われている。 地球上で1日は24時間と絶対的だが、宇宙の時間は相対的なものになる。 将来、光に近い高速で飛ぶロケットが開発されたとすると、その中では時間はゆっくりと経過する。 その結果、ロケットで10年間、宇宙旅行をしてきた人が地上に帰って来ると、 地球では何十年もの時が過ぎていたという浦島現象が起こると言われている。(※計算上)

 日本人の宇宙飛行士の若田光一さんは2013年11月、ソユーズ宇宙船に搭乗し、 約6か月間の宇宙滞在の任務をこなした。国際宇宙ステーション(ISS)に滞在中、体調は崩さなかったが、 無重力状態では体に負荷がかからず、骨や筋肉が急激に衰え、毎日2時間の運動を こなしても、 筋力は約2割落ちて一気に20歳も年をとった状態になったそうだ。 宇宙旅行の滞在期間が長期になればなるほど、地球上との時間経過の差が生じ、 歳を取らない・・・ということになる。ところが若田さんの肉体は深刻な浦島現象に晒され、 無重力と放射線という二つの入った玉手箱を開けた途端、急激に老化してしまったというのだ。

 最後に、金の心配もせずに、誰でも自宅でいながらにして簡単に宇宙旅行の気分が楽しめる 国立天文台のホームページ に公開されている4次元デジタル宇宙プロジェクト、 天体シミュレーターソフト「Mitaka(ミタカ)」を紹介しよう。パソコン上で地球や月、太陽系全体、 太陽系の周辺の恒星、そして全銀河の成り立ちまで、 現在観測されている137億光年におよぶ宇宙の歴史をシアターで見たり、 またとてもリアルに宇宙旅行が楽しめるシミュレーターソフトが無料で公開されている。 さながら宇宙船に乗っているように、惑星や恒星に近づく星々の様子が疑似体験できる。 各国の探査機が詳しく調べた月や火星など、地表の凹凸をまで再現可能という優れものだ。 ぜひ、お試しあれ。

8/15/2015    








 佐久島へは船で20分程度。子どもたちは佐久島西港から学校まで歩きである。 中学生が小学生のめんどうをみて歩いていく。(島外から通っている子たちは、 船で毎日通学する。)





 いつもだったら中学校の先生が車で迎えに来てくれる。が、今日は忙しいのか、 忘れたのか来ていない。天気がいいので歩き出す。船着場を離れ、左に折れて坂道を登って行く。 (佐久小中学校は島の中央、1番高いところにあるので、非難するときは島中そこに集まる。)
 道の両側は畑や林、ところどころに人家や建物がまばらに点在する。そのうち、 島の人たちのライトバンが走ってきて拾ってくれる。荷台には、 島に住む両親の世話に来た人が乗っていた。

8/8/2015    








 Y君の家は島で民宿をやっている。 その民宿で改築のお祝いの餅投げがあるという。 部活もそこそこにして、先生の車に生徒を詰め込んで、民宿近くに乗りつける。

 お菓子や飲み物が、来ている人たちにふるまわれる。なぜか、小学校の子どもたちが お菓子の入れ物を持って、来た人たちにふるまっている。
 佐久島の人口300人足らず。島の人総出で、お祝いに集まっている感じである。 お年寄りが多い。若い人は島から出て行く。高校がないので、 中学を卒業すると自動的に島外に出ることになる。出れば外での生活が始まる。 でも、心の拠りどころは島にある。
 投げられるのは、紅白のお餅、パンやお菓子、お金の包みまでふってきた。 (自分の収穫は、お餅7個、ジャムパン1個、お菓子1個、50円玉3個)



 大きなお餅が投げられているときは、「危ないぞー」「気をつけろー」と声が飛ぶ。 投げるほうも心得たもので、しばし頭上に示した後、放り投げる。 なんか昔の日本が島の中に残っている感じである。お店もない、ゲームセンターもない島の暮らし。 行事をみんなで楽しんでいる。

7/30/2015    




7月1日は、久しぶりのうるう秒のことがマスコミで取り上げられていました。
 私にとっては、今年のうるう秒は自分の人生最後のものになるかも知れないので、 その瞬間の電波時計の様子を動画に残そうと、前夜から準備をしておきました。 しかし、期待していた「8時59分60秒」の表示は、自宅の電波時計では見られずがっかりでした。
 あとでよく調べると、このような表示がされる時計は、特別な場所でしか見られないということで、 すこし納得しました。

ところで、デジタル表示の時計を見ていて思うことがありました。
 もともと、時間は連続したアナログのもので、デジタル表示のように不連続なものではないはずです。 子どものころ、当時としては珍しかった電気時計を、幡豆の歯医者さんのところで見たことがあります。 その時計にはこれも珍しかった秒針があって、1分に文字盤を1周していましたが、その動きは滑らかで、 現在の時計のようにコツコツとした動きではありませんでした。
 おそらくクオーツ発振によるモーターではなく、普通の交流モーターだったのでしょう。 あの時計では、まさに時は「流れて」いました。

時代は変わって現代では、もはや時計は、円盤と針を持ったアナログ表示のものも、 秒針は1秒ごとに動き、秒間は不連続です。「時々刻々」と言うことば通り、 時は「きざまれて」表示されます。しかし、最初に戻れば、 「8時59分59秒」から「8時59分60秒」に突然表示が変わるけれど、 実はその1秒の間も時は流れているのだ、と認識すべきでしょう。
 その流れは文字に表示できないだけですが、スポーツ競技の世界では100分の1秒差で勝った、 などということもあります。その競技の場合は、1秒という時間はとても大きいのでしょう。

さて、英語では時は流れるのでしょうか、それとも刻まれるのでしょうか。
往年の名画「カサブランカ」に登場して有名になった "As time goes by" という歌があります。 邦題は「時の過ぎゆくままに」ですが、
この映画 を紹介しておきます。

時は流れるのか、刻まれるのか、判断はおまかせします。


7/12/2015    













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