10月なかば、JR東海の日帰りツアーの募集を見つけたので、参加しました。 以前から乗ってみたいと思っていた木曽の森林鉄道に乗れる日程だったのです。

 木曽の森、と言い慣わしていますが、私の行ったのは、 正確に書くと「赤沢自然休養林」と「赤沢森林鉄道」ということになります。 所在地は、地図を見て下さい。動画形式になっているので、 見たいところで画面下のコントロールバーの停止をクリックすれば地名などはっきりすると思います。


 鉄道に乗れるので行ったのですが、着いてみると、 年代を重ねた檜をはじめとする木曽五木の森がしずかにひろがる非日常の世界でした。 紅葉がさざめきあい、その昔筏を組んで流したという川の流れの音と小鳥の声しか聞こえてきません。 ときたま、森林鉄道の音がして現実世界に引き戻されるのでした。 念願のトロッコ列車には、もちろん乗りましたが、 終点から起点までよく整備されたいくつもの散策路があり、 それらの中を歩いて別世界に入っていったことの方が、心安まる思い出となっています。


11/13/2015    




少し前、幡豆町がまだ幡豆村と呼ばれていた大正から昭和初期にかけて書かれた何通かの葉書きの解読をある人から夫に依頼されたことがあった。 その葉書きは非常に達筆な字で書かれた変体仮名まじりのくずし字で書かれていて、 一見して『ん?』と首をひねるようなものばかりであった。 宛名も相当崩して書かれており、昔の郵便局の人はこんな字が読めたなんて“すごい”とまず驚いた。
 私が学生の頃、母が時々くれる手紙も変体仮名まじりの続け字だったこともあり、 続け字を読んだり書いたりすることには少しは慣れているつもりだったので、 私も『五體字類』という辞書を片手にこの葉書きの解読に加わった。 夫と二人でやったこの作業は謎解きみたいで、私にはいつもと違うとても楽しい時間となった。

 そんな折に広報でふと目にしたのが、上記の表題のような講座へのお知らせであった。 そこには “平安時代後期に書かれた短編小説集『堤中納言物語』より、 虫が大好きな変わり者のお姫様の話を読みます。江戸時代中期の公家が書いた写本をテキストにします。” と書かれていた。私は『虫愛づる姫君』の話は古文でも現代文でも読んだことがあり、 家に『堤中納言物語』の本もあるので何とかなるだろうという安易な気持ちから、 迷うことなくその講座に出席することにした。
 申し込みはしたもののテキストを貰いに行くのが遅くなり、慌ててテキストを開いてびっくり。 初めの書き出だしはまだ記憶に残っていたので何とか読めたが、その先は全くお手上げの状態だった。

 以下が右上の原文をそのままの表記に直したものと、それを読みやすくしたものである。 (原文の上でクリックすると拡大します。)
 事前に貰ったこの講座の資料の中に《くずし字を読めるようになるには…》という項目があり、

真面目な(?)私はそのとおりにやってみることにした。

 ところが、早くも1ページの6行目ぐらいから段々あやしくなり、 2ページ目からは原稿用紙が虫食いのような状態で手も足も出ず全く意味不明になった。 この原文には下記のような特徴があることに気がついた。これでは読みの見当もつかないし、 意味不明なのは当然である。

 仕方なく窮余の策で『古典文学全集の虫愛づる姫君』を引っぱりだし、 現代仮名遣いで書かれた原文を横目で見ながら『この平仮名はこんなくずし方をするんだ』などと思いながら、 少しずつ読みを進めて行った。そんな中で、どうみても『山』のくずし字みたいなものが『す』と読むのが納得できず、 “変体仮名”をネットで検索してみた。ある。ある。いくらでもある。
 中でも『ちょっと便利帳 変体仮名』 というサイトが私には使いやすかったので、これを使って調べてみた。 これはもとの字は“春”で、漢和辞典で調べてみると“春原”と書いて“すのはら”と読むことがわかり、 漸く納得できた。

 しかし、全部で22ページもあるこの物語を読むのに、 こんな悠長なことをしていてはとうてい講座までには間に合いそうもないことに気がつき、 最後は『虫愛づる姫君』の現代仮名遣いで書かれた原文を見ながら原稿用紙を埋めていった。 こんな下調べしかできなかったが、何ページか読み進めるうちに筆者の文字の書き方や癖が幾分わかるようになり、 少しずつではあるが読める字が増えたような気がして嬉しかった。400字詰めの原稿用紙は11枚にもなっていた。 そして、《くずし字を読めるようになるには…》のアドバイスどおり何とか声に出して読んでみることもできた。

 この古文書講座は 岩瀬文庫 で去る9月27日に行われた。講座の当日は今までこのような講座に出席したことがなかったので、 一人ずつ読まされたらどうしよう?などと多少ドキドキしながら会場に入った。
 先生は林知佐子先生とのこと。古文書などの講座ではおなじみの先生らしかった。 林先生は古文書や古文に造詣が深いのは勿論のこと、話術が巧みでユーモアもあり、 わかりやすい話し方で講義され、予定の1時間半はあっという間に過ぎ、もう終わりなの?と、 ちょっと残念な気がした。
 

先生からはこんなお話があった。

  • この古文書は約1,000年程前の平安時代に書かれた物語を江戸時代の中期に 柳原紀光(ヤナギハラモトミツ) という人が書き写したものだと言われていて、岩瀬文庫にこの古文書があります。 岩瀬文庫にはこの他『枕草子』の定本(底本)となっている古文書などもあります。(すごい!)

  • 濁点、半濁点、句読点もない殆んど平仮名ばかりの資料で読みにくかったことと思います。 これは古文書の中でもかなり難しいもので、ハードルが高いものです。 きっとびっくりした人もあったと思いますが、ここで心折れたりしないで、是非これからも古文書に挑戦して下さい。
     この平成の御代に古文書の原文で『虫愛づる姫君』を読んだ人はおそらく日本中に1,000人とはいないでしょう。 今や国文科の学生でさえ本を買わずにネットで間に合わせている人もいる世の中だそうですから、 みなさんは貴重な経験をしたということです。 (私はネットに古文などの原文(活字になったもの)が載っているとは知らなかった。ネットは何でもありだ!)

  • その他、古文書についての説明と難解な文字の読み方、その成り立ち、言葉の解説などがあり、 『虫愛づる姫君』の話を順に読んでいくという読解の講義があった。

  •  私は古文書に興味は持っていたが、身近にこのような講座があることを知らずに過ごしてきた。 初めて古典を古文書の原文で読む機会を得て、昔に思いを馳せながらタイムスリップしたような感さえして、 知ることの楽しさ、新しいことを学ぶことの素晴らしさを味わうことができた。
     日本語は面白いが難しくもあるということも思い知らされたが、 予習を含めとても充実した時間を過ごすことができたことは近年にない嬉しいことのひとつであった。

     愛書家であったこともあり、たくさんの本を蒐集し、私立(私設)図書館としての岩瀬文庫を開館した 岩瀬弥助 さん。その中には貴重な古文書などが数多くあり、 今それらをこうして私たちが見ることができるのも彼の偉大な業績のおかげにほかならない。 岩瀬弥助さんに感謝したい。そして、次の古文書講座にもまた出席したいと思った。

    10/28/2015    




    10/18/2015    




    友人3人と9月5日の早朝、名古屋駅を朝7時、JR中央線「ワイドビューしなの1号」に乗り、 黒部ダムの旅へと一路、松本を目指した。車内は週末とあって乗客の中にはリュックを提げ、 登山服姿の乗客も多く、自由席、指定席とも満席だったが、 あらかじめ指定席を確保していたので座ることができた。

     今回の旅行は、以前から一度、 日本一を誇る『黒部ダム』をこの目でぜひ見てみたいと思っていたものの、これまでなかなかチャンスがなく、 私の計画した旅に友人を誘って、やっと念願がかなった。 計画の段階でインターネットを使って 立山黒部アルペンルート を通り抜けの日程を調べてみると、 バス、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイを7回ほど乗り継がなげればならないことがわかった。 しかも、そこからさらに宇奈月温泉の宿まで行くためには、当日の朝は、JR蒲郡駅を始発電車に乗っていくという、 分刻みの
    過密スケジュールの日程 となった。

     名古屋駅を出発して2時間ほどで松本駅に到着。 そこから普通電車に乗り継ぎ1時間ほどで「信濃大町」に到着した。 そして駅前からさらに定期バスに40分ほど乗って、 黒部アルペンルート の入り口「扇沢」に到着した。 すでに時刻は11時を過ぎていた。扇沢の駐車場には、マイカーでやって来た観光客の車でほぼ満車となっていた。 マイカーで来ると、この駐車場までまた戻って来なければならないので、 立山までの黒部アルペンルート全行程の通り抜けができない。 (反対側の立山駅まで、車両を届けてくれる有料の配送サービスもある。)

     扇沢駅(標高1,433m)は赤沢岳(標高2,678m)の中腹にあり、駅からトンネルの中を走る 関電トロリーバス に乗り、黒部ダム駅へと向かう。 このトンネルは昭和31年から始まった黒部ダム工事の資材輸送路 「大町トンネル」として掘削され、 当時、最大の難所と言われたルート。今は亡き名スター、石原裕次郎、三船敏郎が出演し、 昭和43年に公開され大ヒットした 映画「黒部の太陽」の撮影舞台となった場所がここだ。 長野県と富山県にまたがる全長6.1kmのトンネルの中ほどで、 トロリーバスのアナウンスガイドが 「破砕帯」 という場所を紹介した。建設当時、トンネルの掘削工事中に大破砕帯(岩盤の中で岩が細かく割れ、 軟弱な地層から、毎秒660mlもの水と土砂が噴出し続けた)という箇所に遭遇し、 わずか80mという距離が全く進めず、一時は暗礁に乗り上げたものの、 7ヵ月もの死闘の末、突破したということで、このシーンは映画の中でも感動的に描かれている。

     トロリーバスは16分ほどでトンネルを抜け、黒部ダム(標高1,470m)に到着した。 駅からトンネルの階段を登って出た展望台から、 白い黒部ダムの堰堤がエメラルドグリーン色のダム湖と淡い緑色のアルプスの山々、 青い空と見事なコントラストとなって目の前に現れた。3人とも歓声と驚きで思わず「わー」と声が出た。 心配された天気も青空が広がり、この日の気温は11度、ダム湖を眺めながら、みんなで記念写真を撮った。 展望台を降りる途中のデッキから見下ろすと、ダムから放水された水しぶきが白い煙のように流れ落ち、 その途中で虹がかかる景色はまさに圧巻だ。このダム建設は延べ1000万人の手により、 7年の歳月、513億円の工費(当時)をかけたと言われる世紀の大事業だったが、 今ダムを目の当たりにしても、そのスケールの大きさを実感する。

     展望台からダムへ下りたところにレストランがあり、かなりの人で混雑していたが、 並んで名物を食べた。 黒部湖を表現したルー、カツは遊覧船、ご飯はダム堰堤をイメージした一品で値段は1,080円で、 味はまずまずだった。食事を済ませ30分ほどダムを散策し、 ダムの堰堤沿いを歩いた先の「黒部湖駅」でケーブルカーに乗り込む。 全線トンネルの軌道を走り、5分ほどで「黒部平」(標高1,828m)に到着した。

     「黒部平」からさらにロープウェイに乗込み、 立山(標高3,015m)の中腹にある大観峰(標高2,316m)に7分ほどで到着。 そこからさらに立山の中腹をくぐり抜けるトンネルの中を走るトロリーバスに乗込み、 室堂(標高2,450m)に10分ほどで到着した。ここからは立山連峰の見える高原バスに乗り換え、 50分ほどかけ美女平(標高977m)まで一気に下った。最後に再びケーブルカーに乗り換え、 7分ほどで立山駅(標高475m)に到着した。 これでようやく立山黒部アルペンルートの全行程が無事に終わったことになる。 すでに時刻は午後3時半を回っていた。

     立山駅から15:57発の電鉄富山のかわいい列車 「特急アルペン3号」に乗込み、 1時間半ほどかけて今夜の宿がある宇奈月温泉駅に到着した。駅から歩いて5分ほどで予約した宿に到着した。 部屋の前はすぐ黒部川が流れ、その向こうにトロッコ電車の赤い鉄橋が見え、 山間の温泉という雰囲気が気に入った。その夜はゆっくりと温泉につかり、 魚介類のバイキング料理に舌鼓をうちながら楽しい一夜を過ごした。

     翌朝、天気はあいにく曇り空で、少し肌寒かった。 今回の旅のもう一つの楽しみにしていた 「黒部渓谷トロッコ電車」 に乗るため、 宿の車で5分ほどの黒部渓谷鉄道「宇奈月駅」まで送ってもらった。 このトロッコ電車は電源開発のために大正15年に資材運搬用鉄道として建設され、 昭和46年から客車で観光用に利用されるようになったという。総延長20.1km、 黒部渓谷の深い渓谷沿いを縫うように走り、オープンタイプの客車で車体の揺れを全身で感じながら、 風を頬にいっぱい受けながら走るトロッコならではの醍醐味は想像以上に楽しかった。 電車は途中、7つある駅のうち3つの駅だけ停車し、約80分で終点の欅平駅に到着した。 あいにく30分ほどしか時間がなかったが、周辺を散策し、折り返し、宇奈月駅まで戻った。 これから秋になれば渓谷も、見事な紅葉の景色に変化していくのだろうと想像すると、少し残念な気もした。

     電鉄富山「宇奈月温泉駅」に再び戻り、13時発の特急「うなづき8号」に乗り、富山駅へと帰路へ。 富山駅からJR高山本線で15:10発の「ワイドビューひだ18号」で一路、名古屋へ向かい、19時過ぎ到着。 友人3人で夕食を食べ、ちょっぴり忙しい今回の旅を終えた。

    9/26/2015    

















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