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私が初めてライスカレーを食べたのは小学校の高学年の頃?だったと記憶している。 当時はカレーライスではなく、ライスカレーと呼んでいた。
 私が小学校に上がってからの戦後は食糧事情が極端に悪く、毎日の食事にも事欠く時代がかなり長く続いた。 その頃の私は、何も入っていない白いご飯をお腹いっぱい食べたいものだと、いつも思っていた。 そのようなわけで贅沢なライスカレーなどは、長い間口にしたことがなかったのである。

 食糧事情も少しずつ良くなりかけてきたある時、学校から帰った私に母がニコニコして、
「今日は珍しいものが手に入ったから、美味しい物を作ってあげる。」
と言って作ってくれたのがライスカレーだった。珍しい物とはカレー粉だったのである。
「本当はバターがあれば、バターで野菜や肉を炒めると美味しんだけど、バターは売っていなかったから…。」
と言いつつも、めったに口にできない豚肉が少しだけ買ってあったのは嬉しかった。

 この時、何やかにやと大騒ぎしながら、母と一緒に作ったカレーの作り方は、次のようであった。
  1. じゃがいも、玉ねぎ、人参と少量の肉を水から煮て、煮えあがった頃に残りの肉とカレー粉と塩を入れる。
  2. 別の器で小麦粉(母はメリケン粉と言っていた)を水で溶き、それを少しずつとろみのつき具合を確認しながら入れていき、 程よいとろみがついたら、味見をして味を調える。

 こうして出来上がったカレーは鮮やかな黄色で、食卓に載った時はとても美味しそうだった。早速一口食べてみたが、豈図らんや、 期待した程ではなかった。すると、父が「ソースをかけてごらん。」と言ったので、今度はソースをかけて食べてみた。 すると、あーら不思議。少し辛いだけのライスカレーが、とたんに美味しいライスカレーに大変身したのである。 考えてみれば、野菜とほんの少しの肉だけのだしでは美味しいカレーなど作れるはずがなかったのである。

 この晩は父母のカレーの思い出話に花が咲いた。父が上京した大正の中頃はカレーは外で食べる特別食で、 まだ値段が高くめったに食べられなかったこと。上野の精養軒で初めてカレーを食べた時には、 世の中にこんな美味しいものがあったのかと感激したこと等々。
 母(父と母の年齢差は10歳)は子どもの頃に(大正時代)祖母(母の母)が時々カレーを作ってくれたので、家で食べていたこと。 祖母は東三河の隣村から母が育った町に嫁いで来て、この町から一歩も外に出たことがなかったのに、どこでカレーの作り方を知っ たのかわからないが、今日作ったカレーは祖母が教えてくれたカレーの作り方と大体同じであることなどであった。

 それから数年後、母が東京にいる叔父(母の弟)の所に行って帰って来た時のことである。 叔父の家でご馳走になったライスカレーが余りにも美味しかったので、 叔母に何か作り方にこつがあるのかと尋ねたところ、叔母が笑いながら、
「あーら、お義姉さん、何にもこつなんてないんですよ。これを使っただけなんですよ。」
と言って見せてくれたのが、後に我が家でも大活躍することになった『オリエンタル即席カレー』の素だった。

 母が東京土産に沢山もらって来たこのルーを使って、 叔母に教えてもらった作り方で作ってくれたカレーは本当に美味しかった。おまけに、 初めてお目にかかった福神漬けまでついていた。私はもうソースなどいらないと思っていたが、 父は「美味しい。」と言いつつ、相も変わらずソースをかけて食べていた。父にとって、 カレーにソースはつきものだったらしい。
 大事に食べていたルーがなくなった頃には、山形の田舎でもこのルーが買えるようになり、 簡単にカレーを作ることができるようになった。我が家にしばしばカレーが登場するようになったのは言うまでもない。

 大学に通っていたある夏休みに、私の大学に某デパートからアルバイトの人材募集があった。 私が通っていた大学は夏休みになるのが遅く、めったにデパートからの求人はなかったので、またとないチャンスに 私は友人と共に早速応募した。しかし、他大学からの応募者も多かったためか、採用試験があり、面接は勿論のこと 職業適性検査や知能テストまであったのにはびっくりした。私と友人は運よく採用され、2週間ぐらい働くことができた。 日給は180円だった。

 アルバイトの最終日に、アルバイト賃を手にした友人と私は、かねてからの約束どおり、 憧れの新宿の『タカノフルーツパーラー』で何か甘いものを食べ、少し贅沢な気分を味わうことにした。 しかし、店頭にあった食品サンプルの値段を見て、友人と私は即座に中に入ることを諦めた。 余りにも値段が高すぎたのである。
 すぐ隣が『中村屋』だったので、また店頭の食品サンプルを見た。ここは『タカノ』より安価だったので、 私たちはそこに入ることにした。 私は叔母にご馳走になったことがある銀座の『竜田野』のクリームあんみつが美味しかったことを思い出し、 迷わずクリームあんみつを食べることにした。友人も私にならって、同じものを注文した。

 私たちが案内された席は大きなテーブルのある相席だった。ふと隣に目をやると、隣の席の女の人の前に 今まで見たことがないようなものが運ばれてきた。私は、その匂いからライスカレーだろうとは思ったが、 普通のライスカレーとは違って、とてつもなく豪華で美味しそうに見えた。 まず、器が全く見たこともないようなおしゃれなものだったこと、 カレーらしきものの中に大きな不思議な形をした肉の塊のようなものが入っていたこと、 その横にこれもおしゃれなガラスの器の中に福神漬けと何かわからないものが2種類入っていたことなどが 私の興味を一層そそった。

店を出る時、食品サンプルを見て、隣の人が食べていたのはライスカレーではなく、 『カリーライス』と名付けられていることを知った。気になる値段を見たら、かなり高く、 学生の私にはおいそれと口にできるものではないこともわかった。
 私はその時、口に出しては言わなかったが、就職して給料をもらうようになったら、 今度はあのおしゃれな器に入った美味しそうなカリーライスを一度は食べてみたいものだと思った。 まだ食べ物が潤沢ではなかった頃の、私のささやかな夢の一つであった。




私はこれまで数えきれない程たくさんカレーを作ってきた。子どもたちが小さい時には、 甘口のカレーを、大人ばかりになった時にはちょっと辛口を…。カレーは具材を変えれば、 その時々にバリエーションを楽しめ、いつ作ってもそれなりに美味しく、忙しい私にはとても有難い存在だった。
 しかし、子ども達がそれぞれ独立した頃から、私はめったにカレーを作ることがなくなった。 夫が毎晩晩酌をするようになり、酒の肴を作らねばならなかったことと、長年の癖でつい余分に作り、 余ったカレーの後始末に手間がかかり、わざわざ作ってまで食べようとは思わなくなったからである。

 数十年も前のことだが、叔母の家で昼食にカレーをご馳走になった時、 従姉が出してくれたカレーが何とも言えず美味しかったので、いつもの癖で従姉に作り方を聞いてみた。 すると、叔母がニヤニヤしながら、
「作り方なんて何にもないに。手抜きもいいとこで、お湯で温めただけだに。」
と言った。
 私は訳がわからず、怪訝そうな顔をしたら、従姉が
「○子ちゃん、これよ。」
と言って、見せてくれたのが、レトルトカレーだった。私はコマーシャルが嫌いで、 民放を殆ど見なかったこともあり、レトルト食品のことをあまり知らなかったのである。

 そのカレーは、某有名食品会社の業務用のもので、店頭販売はしていないとのことだった。 何人かでまとめ買いをすると、買えるとのことで、私も仲間に入れてもらい、買ってもらうことにした。
 このカレーは値段が安かったので、残念なことに具が少なかった。しかし、 茄子などの夏野菜やきのこなどを入れたり、肉を足したり、 時には姪が教えてくれたココナッツミルクを入れたりして、最後にガラムマサラをちょっと入れると、 たちまち高級レストランのカレー?に変身することを知り、 ますますこのカレーがお気に入りになった。その時以来、我が家ではカレーはレトルト、食べるのは昼、 といつとはなしに変わっていった。

 ご近所の独り暮らしのおじさんにこのカレーを何個かあげた時のことである。
「あんたのくれたカレーはうまいのう。わしゃ、あんなうまいカレーは初めてだ。大事に食べとるがん。」
と言って、とても喜んでくれた。たかがレトルトカレーだが、こんなにも人を幸せな気持ちにするとは…、 驚きのカレーであった。

 ところが、何年か経った頃、このカレーが何故か突然手に入らなくなった。私は残念に思い、 ネットで検索してみたが、そのカレーを買うことはやはり不可能だった。
 そんな時、スーパーであの中村屋のカレーがインドカリーの名で売られているのを見つけ、 高級品のイメージがあったカリーが手頃な値段で買えることに驚き、これだ!と思い、 早速数種類のカリーを買ってみた。しかし、食べてみると他店のレトルトカレーと何ら変わらず、 これが夢にまでみたカレーの味だったのかと、いささかがっかりした。
 その後、中村屋のウエブサイトで、カリーシリーズとして、店頭にあるものより高級感があり、 値段も高いレトルトカリー(写真 左)があることを知ったが、残念ながらこちらはまだ食べてみたことがない。 写真で見た限り私がかつて出会った『カリーライス』とそっくりである。

 手軽にそこそこ美味しいカレーを食べることができるようになった現在、 学生時代に一度は食べてみたいと願っていた高級感のある中村屋のカリーライスも、いつしか遠い存在となり、 上京しても想い出すことすらなく、いつの間にか50余年が過ぎてしまった。しかし、 新宿の本店に行って『カリーライス』を食べれば、きっとレトルトカリーの味とは違って、 美味しいに違いないと思い始めた。チャンスがあったら、やはり一度は食べてみたいような気がする。

 今から15、6年程前、私は英会話に夢中だった。 姪がイギリスの大学院に留学したのをもっけの幸いとイギリスに行った時のことである。 姪は同じ大学院に通うパキスタンからの留学生とハウスシェアをしていたので、 2日ほどそこに泊めてもらうことにした。その時、夕食にパキスタン人のB(仮にB)がカレーを作ってご馳走してくれた。
 そのカレーは日本のカレーとは見た目もちょっと違って、さらっとしていて、程よい辛さと香りがうまくマッチし、 こくがあり、何とも表現し難い味がした。本場のカレーの味など知らないのに、これぞ本場のカレーだと思った。 こんなに美味しいカレーは今まで食べたことがないと言っても過言ではなかった。
 その時も、私の好奇心が顔を出し、いったいどうすればこんなに美味しいカレーが作れるのか聞いてみた。
するとBがニコニコしながら『コツなど何もないこと、ただ茄子と鶏肉を炒めて、 母が調合してくれたスパイスを混ぜ合わせただけで、私にもそのスパイスの調合の仕方はわからない。』と言った。
もしBがスパイスの調合の仕方を知っていたら…と、 今でも時々残念に思うことがあるほど忘れられない味がするカレーだった。

 この時、ちょっと面白いことがあった。私がカレーの中の茄子を見つけ、
「これは eggplant ですよね?」
と言ったら、Bが
No, it is not eggplant. It is ???
と言った。 私はどうみても茄子にしか見えなかったので、不思議そうな顔をしたら、 姪が『イギリスでは茄子のことを aubergine って言うの。』と、助け舟を出してくれた。 私は学生時代にイギリス英語を学んだはずなのに、茄子の単語を知らなかったのである。いい加減なものである。

 昨年、『江戸の美味しさを読んで味わおう』という岩瀬文庫の古文書講座があった。その中に 『西洋料理通』 という仮名垣魯文が書いたカレーのレシピを紹介した文があった。
 これは日本に来たイギリス人がカレーを食べたくなり、カレーの作り方を雇人に教えた手控え帳をもとに、 新聞記者であり戯作者でもあった仮名垣魯文が書いたものである。
 面白いのは具材が玉ねぎではなく、葱を使ったこと、(その当時、玉葱はなかったらしい)じゃが芋、 人参は使われていないこと、とろみを出すために水溶きの小麦粉を使ったことなどである。
 初めて母が作ってくれたカレーのルーツは、もしかしたらこのあたりにあるのかも知れないと思いつつ、 この古文書の講座を興味深く受けた。明治の初めにはもう一つの『西洋料理指南』というものがあり、 カレーの作り方が紹介されているが、材料などが微妙に違っているのも面白い。
 詳しくは、Wikipedia の『 カレーライス』の項を参照されたい。

9/12/2016    







8/28/2016    


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