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お久しぶりです、ちゃたーです。 NFLも第10週に入りました。夫のチーム、低迷し続けた オークランド・レイダーズが、信じられないことに快進撃を続けています。 レイダーズは、昨年度のNFLチャンピオンであるデンバー・ブロンコスと同地区で、 今季トップ争いをしていました。その両チームが先週直接対決し、なんとレーダーズは難なく勝利したのです。 それをテレビで見ていた夫と私は大喜び。いい試合でしたぁ!

さて今シーズンのNFLですが、開幕前に話題となる出来事がいくつかありました。ひとつは、 もともとロサンジェルス近郊でプレイしていてセントルイスに移転したラムズが戻ってきて、 ロサンジェルス・ラムズとなったこと。大都市ロサンジェルスも久々にNFLのチームを持つことができて、 めでたしめでたし。

実は、ロサンジェルスから北カリフォルニアのオークランドに移ってしまったレイダーズにも、 ロサンジェルスへ本拠地を移転する話が出ていました。 でもロサンジェルス市との話しがまとまらず、ラスベガスに移転することに。 諸手続きは完了し、あとは来年のNFLオーナー会議での承認を待つだけになっています。

地元オークランドであった先日の試合では、「ラスベガスに行かないで!」と書かれたカードが映し出されました。 でも、寂しくてもどこに行こうともレイダー・ファンはファンであり続けます。 夫も、20年以上前にロサンジェルスで購入したレイダー・ジャケット(下の写真)を、 ずっと着続けることでしょう。




では次の話題。8月のプレシーズン・ゲームで世間を騒がせる出来事がおこりました。 サンフランシスコ・フォーティナイナーズの、昨年までスターター・クオーターバックであったコリン・キャパニックが、 試合前の国歌斉唱で、片膝付けたまま立ち上がらなかったのです。 アメリカにおける人種差別と警察の暴力への抗議行動でした。 日本語の 関連記事 の写真のように、最初キャパニックは、チームの中で目立たないように座っていました。 最近のテレビ画面では、新たに加わった2人のチームメートと3人で、 堂々と正面で片膝ついていました。

この件でキャパニックは脅迫されてもいるようですが、メディアによれば、 警察OBのある組織が「そんな態度をとるのなら、 試合開催中の警備は断るように働きかける」と言ったそうです。 次期大統領に選ばれたトランプ氏は、名指しはしませんでしたが、 「この国が気に入らない奴らは出ていけ!」と言ったとか。 寛容なサンフランシスコ・フォーティナイナーズからの、キャパニックへの干渉は伝えられていません。

フォーティナイナーズといえば、そういえば私、クオーターバック・モンタナのファンでした。 我が家の玄関でお客様をお迎えしているハイジが被っているキャップはその名残で、夫からのプレゼントです。



トランプ氏とNFLといえば、そうそう、あるチームの選手が国歌斉唱の時、立ち上がらなかったとか。 キャパニックへの賛同かと思ったら、トランプ氏が大統領に選出されたことへの抗議だそうです。 アメリカ的で笑ってしまいます。ちなみにトランプ氏当選を知った私の第一声は「アメリカに住んでいなくてよかったぁ!」。

話変わって、タイトル画像左のアイコン。これ、 シカゴ・ベアーズというチームのトレーナー(下の写真)の品質タグを写真に撮って、 私が NFL と 2016 の画像を入れたものです。ベアーズの監督がディトカだったとき私は彼のファンだったので、 夫が買ってくれました。

ディトカは顔も体も四角くて熊みたいで、すぐにカッとなる性格でした。 試合中あまりに怒ってばかりいるので心臓に問題がおこり、興奮しないようにと医者に注意されるほど。 怒りを抑えてサイドに立っている姿はいじらしく、でも結局我慢できずに爆発。心配したり笑ったり、 私はこの面白おかしい名物監督が大好きでした。

  

11/15/2016    






10月中旬、蒲郡港に練習帆船の日本丸が何十年ぶりかで寄港しました。この帆船は2代目ですが、 全て日本国内で設計・建造され、その美しい姿は「海の貴婦人」とも呼ばれています。 世界で最速の記録を出した帆船に贈られるトロフィーを3度も受けています。 4本マストのこの帆船のプラモデルキットが出た時、私はこれを組み立てようとしましたが、 最後のリギン(ロープ類)の装着で挫折した思い出があります。精密キットだったので、 張り渡すリギンの数は半端じゃなく、それをすべてピンセットで1本ずつ結ぶのでした。 蒲郡港に停泊するほんものを見てもらえば、その困難さがわかると思います。 出航10分前の日本丸です。拡大すると、舫綱が岸壁に伸びているのがわかります。
  


出航日に見に行ったのは、出航の際のイベントに、 練習生がマストに登って挨拶をする「登檣礼(とうしょうれい)」が見たかったからですが、 当日の17日はあいにく朝から小雨。高さ46mのマストに登るのは危険なので、 デッキにならんで挨拶する「登舷礼」に変更されるということでした。 「登舷礼」も珍しいものだし、小雨のなかを、 駐車場から岸壁までの長い距離(シャトルバスも出ているくらい)を歩きました。 参考までに、コロンピア海軍の練習帆船の登檣礼の写真をのせておきます。 Wikipedia にありました。場所不明。
   

船のそばまで行くと、改めてその大きさと複雑なリギンやラダー(縄はしご)の眺めに圧倒されます。 舫い綱の収納作業が進められています。写真では船首の舫い綱が解かれて半分まで収納されています。
  

ブリッヂにいるのは船長さんかな。黒い帽子の人はパイロットだそうです。 ブリッヂの屋上に見える白く丸い大きな円筒のようなものは霧笛。離岸する時に3度鳴りましたが、 その音の太さ、重さ、音圧は想像を絶するもので、あのように大きくて低い音は初めて聞きました。 それは港一帯に響き渡り、近くで、飼い主に連れられて見に来ていたワンちゃんは、 びっくりして腰が抜けて動けなくなってしまいました。
  

出航定刻の14時きっかり、練習生たちはデッキに整列。左のリーダーにあわせて、 声を限りに繰り返し叫びます。「ごっきげんよーーう!」「登舷礼」です。 いつ動いたのかわからないのに少しずつ岸壁との間に水面が見えはじめ、リーダーの号令が変わります。 「帽振れーっ!」みんな一斉に帽子を振ります。こちらからも手を振り別れを惜しみます。 "Bon Voyage" ですね。
  

  

タグボート二隻に曳かれ、静かに離岸した15分後、日本丸は向きを変えて港外に向かって行きました。 それまでずっと、デッキの練習生たちは整列していました。大きな帆船が出航する姿を初めて見ましたが、 そこには心うたれるものがありました。古来、旅立ちを見送る、というとき、見送る人、 見送られる人ともども、このように互いを思い合う静かな時間が十分にあったのでしょう。 現代では、せいぜい駅の改札口や空港のゲートまえで慌ただしく手を振ってお別れになってしまいますが。
  

10/30/2016    







10/19/2016    






9/6/2016    




8月のおわり、名古屋・中日劇場で劇団四季のミュージカル 「ウエストサイド物語」( West Side Story 以下 WSS と略記)公演があり、まだ暑い名古屋に行きました。
このミュージカルは映画版の方が有名で、 ダンスと音楽と劇がひとつになったスタイルの原点となったものです。 映画では、当時人気のジョージ・チャキリスが主演で、彼は俳優であってダンサーではないのに、 かなり頑張って踊っていました。それで、日本人が演じる WSS は果たしてどんなものか、と期待をしていたのです。

生のステージで観る四季の WSS は期待に違わぬものでした。歌って演技すればいい普通のミュージカルと違って、 強靭な肉体に支えられたダンシングが要求されるので、 初演時の振付師は苛酷な体幹トレーニングだけを1年続け、 それに耐えられず去っていった団員もあるとか。 さもありなん、と思わせる圧倒的なダンシングと歌唱でした。


ただ、英語の歌詞を日本語の歌詞で歌うので、その点だけは違和感がありました。 訳詩者は岩谷時子で一流ですが、さすがの岩谷時子も、 英語と日本語のリズムの違いだけはなんともできなかったようです。 日本語では高低アクセントはあるものの、リズムはありません。 ヒロシマ、オオサカ と日本語でいう時、ーーーー 、ーーーー のようになりますが、 英語圏の人は ヒッロシィマ、オォサァカ と言います。そして音符に歌詞をつけるときには 日本語では キミガーヨーワーと 一音符に一「字」、 英語では God save the Queen!(英国国歌)と 一音符に一「語」。 「字」と「語」の一小節内での情報量の違いは大きく、名訳詩家岩谷時子も悩んだところでしょう。

「アメリカ」は、WSS 中の名曲として知られていますが、作曲者バーンスタインはこれを複雑な変拍子 (6/8拍子と3/4拍子とが交互にある)に作りました。 1フレーズ(ひとかたまり)を楽譜に表すと、下のようになります。

9個の音符ですが、 このなかに Life can be bright in America などと入れています。

四季の「アメリカ」の生ステージを緊張して見ていましたが、 どうも日本語の歌詞がよく聞き取れませんでした。気になって、 あとで web で探しても見つかりませんでした。

WSS に限らず、 外国語の歌詞を日本語で歌うオペラやミュージカルは、原語版に比べてどうもぴったりきません。 数少ない成功例は、上條恒彦や森繁久彌が主演した「屋根の上のバイオリン弾き」だったと思います。 オペラは西欧音楽文化の中心でもありますが、これを日本のものとして成功させたのは、 木下順二の「夕鶴」の台詞を、まったくそのまま音符に乗せた團伊玖磨の「歌劇夕鶴」でしょう。 もう一度見たいものです。

9/23/2016    


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