安泰寺と家康

 戦国時代の終わりごろのお話です。
 街道沿いの梅の花がぽつぽつさき始めたある日、桑畑村をぬけ、安泰寺の坂を馬で登る武士の一行がありました。
 三河の統一を目ざし、幡豆の地を見回りに来た若いころの松平元康(徳川家康)とその家来たちでした。
 坂のなかばにさしかかった時、家老は元康の馬に近づきました。
「殿、模外おしょうの名をご存じでしょうか」
 ふりむいた元康は、手づなを引いて馬を止めました。
「何でも、おじいさまゆかりの方と聞いているが」
「はい。この先の峠に模外おしょうの開かれた寺がございます」
「そうか、ならば、ぜひ立ち寄りたいものじゃ」
 一行は、街道わきの木に馬をつなぐと、緑の木立ちに囲まれた安泰寺の参道を進みました。山門前の池に、大きな松がかぶさるように枝を広げていました。
「みごとな松じゃのう」
「はい。池に映った姿も美しゅうございます」
 しばらくうで組みをしてそれを見ていた元康は、兜を家来にわたし、鎧をその松の枝にかけると、家老とともに山門をくぐりました。

 出むかえた寺の住職は、訳を聞いて丁重に本堂へ案内しました。
 ご本尊のお参りが終わると、住職は本堂のおくへ通しました。そこには模外おしょうの像がありました。そのお顔はやさしさの中にもきびしさがあり、元康にとってはなき祖父を思い出すものでした。
 家老は像の前にすわった元康に、ゆっくりと話し始めました。
「殿のおじいさま清康公は、今川や織田が一目置くほどのりっぱなお方でした。ある年の元旦、清康公は左手の内に『是』の字をにぎる夢を見られました。そして、その夢判断をされたのが模外おしょうなのです」
「夢判断?」
「つまり、夢の意味が何かということです」
「で、何と」
 元康は身を乗り出しました。
「是の字は、日の下に人と書きます。日は天にあり、つまり天下人です。松平家が人びとの平安のためにいっそう努めれば、必ず三代の内には天下を取る人物が出るだろう、と」
「何。三代の内に!」
 あまりの言葉に元康は身をふるわせました。
「はい。そのとおりです」
 家老は、大きくうなずきました。
 それから二人は、長い間模外おしょうの像の前で手を合わせて祈りました。

 住職に送られて山門を出た元康の顔は、かがやいていました。
「今日は、この寺に立ち寄って本当に良かった。心から満足じゃ」
「それは、ようございました」
 鎧兜を着けて、身なりを整えた元康は、もう一度本堂に向かって深く一礼すると、かろやかな足取りで参道を下って行きました。


〔 解 説 〕

 安泰寺は永正十年(一五一三)、欠城主小笠原摂津守長重の開基によるもので、幡豆小笠原氏の菩提寺である。 徳川家康(当時は、松平元康)が、安泰寺を訪れたという史実としての資料はないが、いくつかの言い伝えが残っている。
 一つは、走り付けの戦いの直前、激しい雨の夜、寺部城を探りに来た元康と供の者に、安泰寺が熱い茶と漬物を与えたという。後年、その時の礼に、椰子の実の水飲と金紫銅の水容を家康が寄進したという。もう一つは、走り付けの戦い以後のことで、家康が安泰寺に立ち寄った時、山門前の松の枝に鎧をかけて門内に入って行ったという。鎧かけの松といわれていて、伊勢湾台風で倒れたが、今も池の中に横たわっている。



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