粟島さん

「粟島さん」と親しまれている粟島大明神が、紀州(大部分は今の和歌山県)蚊田の浦から寺部にむかえられたのは、二百年ほど前のことです。

 初寄り合いで、寺部の太山寺に大勢の村人が集まって来ました。
 年の始めに村の行事を相談する大事な日ですが、飲んだり食ったり、話したりで、村のだれもがこの日を楽しみにしていました。
 寺の広間の真ん中にある大火ばちを囲んで、男衆が世間話をしながら寄り合いの始まるのを待っています。
 この寺のお坊さん、是海法印さんもみんなの仲間に入って、あちこちの話をにこにこしながら聞いていました。
「おらがとなりのはなちゃんがよう、よめ入り先からもどされたぜ」
「へええ、りっぱな道具、たんと持っていったのになあ」
「女の病気とかでよ、おいてもらえんげな」
 それを聞いて、向かいにすわっていた人が、もっとひどい話があると話しはじめました。
「おらが親類で、そりゃ気だてのいいむすめだが、よめして、三年たっても子がねえといって、うちへかえされちまっただ」
「あと取りが生まれにゃ、お家が絶える。子なきは去れということか」
 是海法印さんは、村人たちの話が気にかかりました。その夜から、女の人を病気や悩みから救うことはできないものかと、そればかり考えるようになりました。
 書き物を調べたり、話を聞いたりして、蚊田の浦に祭られている粟島大明神さまが、女の願いをよく聞いてくださることを知りました。聞けば聞くほど女の人にはありがたい神さまでした。
「ようし、わたしがこの寺部へ粟島さまをおむかえしよう」
 是海さんにとっては一大決心でした。まず代官の所へお願いに行きました。
「おお、それは良いところに気がつかれた。わしも手助けをいたそう」
 さっそく、代官の口ぞえで、寺部で一番大きな船を出してもらうことになりました。紀州へ行くには大海原をわたらなければなりません。

 さて、蚊田の浦へ向けて船出をした是海法印一行は、二日目になっていよいよ伊勢の海へ出ました。静かな三河の海とちがって、風も波も荒あらしく、思うように進めません。うまくいって七日、風に流されると十日をこしてしまいます。是海さんは何としても無事に紀州に着くように、一心に読経しました。
 そのかいあって、八日目に蚊田の浦に着くことができました。持って来た代官からの書状を見せ、事のいきさつを話しました。
 そこの神主さんは、大きくうなずきながら聞いていましたが、やがて、うやうやしく言いました。
「ここまで、大変なご苦労でしたな。承知いたしました。この神さまは、天照大神の妹君でございます。摂津国住吉明神にとつがれましたが、女の病にかかり、けがれた身として、天の岩船に乗せられ海に流されたのです。漂い漂いして着かれたのがこの地でした。十二単衣に緋のはかまの美しいそのお方を、村人たちはみんなでお守りしました。後にそのお方は、自分の命にかえても、女の病を治すとちかわれて修行されたのです」

 是海法印さんはますます心を打たれて、分けてもらったご神体を肌身はなさず、大切に持ち帰りました。
(この寺部の地で、女の人たちの幸せを願って、一生我が身をつくそう)
 心新たに思いました。寛政十一年(一七九九)三月三日のことでした。
 こうして、春季大祭を三月三日に行うようになったのですが、ひな祭りと同じ日であるのも、意味深いものです。


〔 解 説 〕

 粟島大明神、通称「粟島さん」は、海を望む寺部の小高い山の上に、金比羅大権現と並んで祭られている。
 寛政十一年(一七九九)の創立で、以来、女性の悩みや病気をいやしてくれる神さまとして遠方からもたくさんの信者が集まった。岡崎や名古屋などの花街の女の人たちが多かったと聞く。
 むかし、女性の病気は不浄とされ、忌み嫌われていたので、こうした人びとには心身ともによりどころとなったのだろう。


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