隠し田と五郎右衛門

 江戸時代も終わりに近いころ、凶作の年が続きました。百姓は年貢が納められず、一揆や騒動があちこちで起こりました。
 八幡村でも、大変な不作で困っていました。
「これじゃあ、年貢を納めや、おらたちの食う米はねえ」
「そうじゃ、せめて子どもらには、米の飯を食わせてやりてえ」
 道で会えば、いつもそんな話ばかりでした。
 村の西と東は、山がいくつも重なり、おく深く入りこんだ沢には、水がわき出していました。百姓たちは、そこに小さな田を何枚もつくっていました。
 山に隠されて、人目につかないため『隠し田』といわれ、年貢をまぬがれていました。
 この年も、いつものように役人が村むらを回って、米のできぐあいを調べにやって来ました。
 ちょうど八幡村の見回りの時です。運悪く、二人の百姓が隠し田から帰ってくるのを見られてしまいました。
「五郎右衛門、あの者たちはどこから来たのだ。山仕事にしてはみょうなかっこうだが」
 役人が、庄屋の五郎右衛門にたずねました。
「へえ、あのう……、そのう……、あれは……」
 事情のわかっている五郎右衛門は、返事に困りました。
 役人は、すかさず聞きました。
「のう、五郎右衛門、八幡に『隠し田』があると聞いたが、それはまことか」
「いいえ、とんでもございません。隠し田なんて……」
「そうか、そちは五郎右衛八幡といわれるほどの男、確かであろうな。今日はこれまでとして、明日、改めて調べることにする」
 役人は供の者を連れて、その日は引き上げて行きました。

 庄屋は、五郎右衛八幡と村人から呼ばれていました。『八幡』というのは、神かけてうそをつかない正直な人のことをいい、五郎右衛門にはぴったりの呼び名でした。
 その夜、五郎右衛門は村役を呼び集めました。
「何としてでも、あの田んぼのことは隠しとおさねばなあ。年貢も納めて、自分たちも食っていくために、なくちゃあならん田んぼだ。わしたちの命のつなだからな。何かいい策はないもんだろうか」
「知らぬ存ぜぬで、おしとおせんかのう」
「いやぁ、そう、簡単にはいかん。お役人は、もう知っていなさるようだし」
 話はそこでとぎれて、これといういい知恵もうかばないまま、ただ、時間が過ぎるばかりでした。
 五郎右衛門は、みんなを帰した後、
(もし、隠し田まで年貢をとられたら、この村に一揆や騒動が起きんともかぎらん)と思うと、何としてでも村人を助けなければと、決心しました。

 次の日、五郎右衛門は、村役といっしょに役人を村の入り口までむかえに出ました。 八幡社の参道の入り口にある赤い鳥居の所まで来ると、五郎右衛門は、
「お役人さま、五郎右衛門、いや、五郎右衛八幡の願いを聞いてくだされ」
と、役人の前へ出てひざまずきました。
「どうか、今日のお調べはとりやめにしてくだされ。お願いでございます」
 ほかの村役たちもいっしょになって、ひたいをすりつけてたのみました。
 役人は返事もせずに前へ進もうとしました。
 その時です。五郎右衛門が、ふところから短刀を取り出すが早いか、自分の腹につきさし、一文字に切ったのです。
「お役人さま、五郎右衛八幡、このとおりでございます。どうかこの八幡にめんじて、村の人を助けてくだされ、お願いで…ご…ざ…い…ま…す…」
 五郎右衛門は、しぼり出すような声でそれだけ言うと、がっくりと前にふせてしまいました。
「庄屋さま!庄屋さま!」
 村役たちは、五郎右衛門の周りにかけ寄って口ぐちにさけびました。
 役人はどうすることもできませんでしたが、しばらくして、
「わかったぞ。五郎右衛門」
と言うと、供の方にふり向きました。
「調べはこれまでとする。八幡村は例年どおりだ。よいな」

 こうして、隠し田は年貢をとられずにすみました。

  *凶作 ……… 作物のできが非常に悪いこと。
  *一揆 ……… むかし、領主や代官の権力の強い政治に反抗して、人びとが起         こした暴動。


〔 解 説 〕

 八幡の奥山を越えて、宮迫、津平へ抜ける山道が今もある。山道をかなり登った雑木林の中に二、三枚の稲田が現在もつくられ、その地つづきに、むかしの田の跡がある。それが隠し田で、ほかにも数か所あったと聞いている。
 五郎右衛門が自害した所は、八幡社の参道の入り口で、むかしは主道であったが、新しく県道がつくられ、今は鳥居だけが残っている。その赤い鳥居の下に、五郎右衛門の記憶をとどめるかのように石が置かれている。


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