かにくれ

 これは「走り付けの戦い」があった時のお話です。
 走り付けの浜に六平という漁師が住んでいました。若いころから海できたえた元気者で、暗いうちから漁に出る毎日でした。
 この日も、星がかがやいているころから漁に出かけ、しかけたあみを引き上げると、たくさんのかにがとれました。
「おお、うまそうなかにだ。朝飯前にゆでて、親類にも分けてやるか」
 六平は、家の前で大きなはそりに湯をいっぱいわかして、かにをゆで始めました。 間もなく、真っ白い湯気の中から、プーンといいにおいがして、おいしそうにゆで上がりました。
 六平がかにをざるに上げた、ちょうどその時でした。
 いつの間にか、今まで見たこともない船が何そうも岸に着き、武器を持った兵士たちが、次つぎと浜に上がって来ます。
 六平はこしもぬかさんばかりにおどろきました。
「も、もしかしたら、松平軍か、えれえこった」
 六平は大あわてで家に飛びこみ、戸をしっかり立てて、押し入れにもぐりこみました。いつ戸を破って入って来るかと思うと、生きたここちもなく、ふるえていました。 外から聞こえてくる兵士たちの足音が、だんだん大きくなってきました。するとそれに混じって何やら声も聞こえてきます。
「おーい、だれかおるかあ。うまそうなかにじゃが、食ってもいいかあ」
 六平は返事をするわけにもいかず、押し入れの中で、ただ神さま仏さまに手を合わせるばかりでした。けれど、外の様子も気になって、じっと耳をすましていました。
「こりゃあ、うまそうなかにだ。まだ湯気が出とるぞ」
「わしにも分けてくれ」
「おお、おれもじゃ、腹が減ってたまらん」
「おれにも、かにくれ」
「わしにも、かにくれ」
 こんな声が押し入れの中まで聞こえてきました。
 どれくらいの時間がたったのか、辺りが急に静かになりました。
 しばらくして、とつぜん、「ワァッ」と、ときの声があがったと思うと、
 ズドーン、ズドーン!
と、鉄砲の音がひびきました。
 六平は、おそるおそる外をのぞいて見ました。ざるのかにはなくなり、あちこちにからだけが散らばっていました。

「あんときゃ、ほんとにおそがかったなあ。どうなるかと思ったよ。かにのことなんか忘れて、押し入れの中でふるえとった。そうしたら、外で『かにくれ』『かにくれ』って声がしてなあ。そやまあ、おそがいやら、おかしいやらで」
 六平のこんな話が後あとまで語りつがれ、いつのころからか、六平が住んでいた辺りを「かにくれ」と呼ぶようになりました。

  *はそり ……… なべのはしが外側へ反っている大なべの一種。


〔 解 説 〕

 東幡豆字走り付けの地内に、通称「かにくれ」といわれる所がある。この話は言い伝えによるもので、走り付けの戦いの余話である。
 戦いについては、少ない資料の中で「三河国軍物語」の『家康公御舟にて西幡豆(今は東幡豆)走り付と言う所に着船、桑畑(走り付けを含む一集落)に御陣を召さる……』を参考にしたものである。
 なお、「走り付け」の地名も家康が走り付けたことからといわれ、近くの山には、家康の腰かけ岩があったとも伝えられている。


もくじへ

「やろまい館」にもどる