金剛童子

 桑畑村の北にある御林山のふもとに、治兵衛という地主がいました。
 人里はなれて住む治兵衛は、村人と話をするのが何より楽しみでした。そんな治兵衛も年とともに、村までの坂道がだんだんつらくなってきました。
「村の衆が、わしの家まで来てくれたら、どげんかよかろうに」
と、思うようになりました。

 そのころ、あちこちの村では小さなお堂を建てて、神や仏を祭ることがはやっていました。
「そうだ。わしの家の近くに何ぞ祭ったら、村の衆がお参りして、帰りに寄ってくれるかもしれん」
 そう思いつくと、さっそく家から少し東へはなれた所にお堂を建てました。
「あれは、青面金剛童子さまといって、悪い病気や災いから村を守ってくださる、そりゃあ、ありがたい仏さまだ。みんな参っておくれ」
 治兵衛が伝えたかいがあって、村人はお参りし、治兵衛の家にも立ち寄るようになりました。
 治兵衛は、すっかり気をよくしていました。

 その夏、二度も大きなあらしがやって来ました。海に近い桑畑村は大変なあれようで、家はこわされ、作物は流されて、村人の暮らしはたちまち苦しくなりました。そのうえ、疫病が村じゅうに広がりました。
「平七の兄ととなりのみつも、はやり病にかかったそうな」
「なあ、おらあ思うだがよ。こう悪い事が起きるようになったのは、あの金剛童子を祭るようになってからじゃねえか」
 うわさはパッと広まりました。
(そ、そんなばかな)
 治兵衛は、そう思いながらも気にせずにはいられません。
「村の災いが金剛童子さまのせいだなんてうそでごぜえましょう。どうか一日も早く村を救ってくだされ。お願いしますだ」
 治兵衛は、だれもこなくなったお堂に出かけては、毎日祈りました。しかし、疫病の勢いはおさまるどころか、一人二人となくなる人も出てきました。治兵衛は、とうとうお堂にこもって祈ることにしました。

 おこもりを始めて二十一日目のことです。さすがの治兵衛もつかれて、いねむりをしてしまいました。
「これ、治兵衛」
 はっとして頭を上げると、顔は青く、髪の毛を逆立てた金剛童子の姿がありました。「治兵衛、よく聞け。このはやり病は、わしのいる所が桑畑村の鬼門に当たるからじゃ。よいか、わしを村の北に移し、この地に鬼門よけのお社口を祭るのだ。そして、この辺りを金剛童子と呼ぶがよい。そうすれば、きっとこのはやり病は治めてやろう」 夜明けを知らせる鐘の音で我に返った治兵衛は、ぶるぶるふるえておりました。
「ああ、そうだったのか。自分かってにお堂を建て、村の衆に申しわけないことをしてしまった」
 治兵衛は、すぐに御林山のふもとを切り開いて、金剛童子の言われたようにお堂を移しました。
 そして、一心に祈りました。
 三日ほどすると、疫病にかかった人たちは元気になり、村に明るい笑い声がもどってきました。

  *鬼門 ……… 鬼が出入りするといわれ、きらわれる方角で、東北の方角。
  *疫病 ……… 悪性の伝染病。


〔 解 説 〕

 暦の干支は、十二支(ね・うし・とら……)と十干(きのえ・きのと……)を組み合わせたもので、その中の庚(かのえ)と申(さる)が組み合わさったのが庚申の日(年に六回)で、庚申信仰はこの日に祭りをするならわしである。
 正しくは青面金剛菩薩であるが、一般に金剛童子と呼ばれている。もとは中国から渡来した仏教系のもので、幡豆では江戸時代の終わりごろから盛んになったようである。この話は、「金剛童子縁因記」によるが、今は桑畑の西南部、旧国道と線路にはさまれた所にある弘法堂に安置されている。


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