沖ノ島の弁天さま

 東幡豆の里に吉田八重郎という人がいました。八重郎は両親をなくし、身寄りがないので、小さい時にあるお屋敷に引き取られました。
 夏のむし暑い夜のことです。
 お屋敷に、あやしい男が訪ねて来ました。顔は、海草でおおいかくされているのに、体は少しもぬれていません。何とも気味悪い様子でした。
「あんた、だれだね」
 門番の作造がきいても、男は答えず、
「これを八重郎さまにおわたしください」
 一本の脇差しをさし出すと、さっさと帰ってしまいました。
「きみょうな男じゃ」
 作造は、あとをつけて行きました。
 男は浜へ出たかと思うと、まるで土の上を歩くように海面を歩き、そのまま暗い海へ消えてしまいました。
「あっ、ありゃ、神さんじゃ、水神さんじゃ」
 びっくりした作造は、飛ぶように屋敷へもどって、八重郎に知らせました。
「その男が、これを八重郎さまにわたしてくれと……」
 脇差しを手に取った八重郎は、大変おどろきました。刀のさやに美しい貝がらが散りばめられた、みごとな古刀でした。
「はて、水神さまが、何でわたしに刀をくれるんだろう」
 いくら考えても思い当たることはありません。
 その晩、刀をまくら元に置いてねむると、
「八重郎、よくお聞き」
 うすもやの中に、なくなった母の姿が現れました。
「おまえは弁天さまの申し子なのですよ。わたしが毎日弁天さまにお願いして、さずかったのが八重郎、おまえです」
 八重郎は、はっとして辺りを見回しましたが、母はいません。ただまくら元の刀だけが、青白く不思議な光を放っていました。

 同じころ、沖ノ島からも青白い光が放たれていました。

「このごろ、沖ノ島にみょうな光が見えるのう」
「何か悪い事でも起きにゃいいが……」
 村人たちは、おそれました。
 八重郎は、自分のもらった刀が、沖ノ島の光と同じように光ることに気がつきました。まるで、おたがいに呼び合っているようにも見えます。
「沖ノ島へ行ってみよう」
 八重郎は、刀をふところにして、暗い海へ舟をこぎ出しました。
 ギィー、ギィー。黒い波間にゆられゆられて、舟は沖ノ島に着きました。
 たいまつをたよりに登って行くと、松や椎、椿などの大きな枝が、おおいかぶさってくるようです。こけにおおわれた太い幹が夜つゆにぬれて光っています。八重郎は光に導かれるようにしてお社まで来ました。
 お社の前にひざまずくと、八重郎は母の言葉を思い出し、心をすませて祈りました。 すると、どこからともなく、鈴の音がひびき、笛の音もかすかに聞こえてきました。「八重郎、八重郎」
と呼ぶ声に、顔を上げると、そこには大勢の家来を従えた、まばゆいばかりの弁天さまのお姿がありました。
「よく来てくれました。りっぱに成人なされて、うれしく思います。脇差しをわたしたのはそなたをここへ呼ぶためです。戦乱の世の中を平和な世にもどすために、わたしの力になり、人びとを苦しみから救ってほしいのです」

 その後、八重郎は弁天さまのお言葉どおり、村を守り、人びとを助けました。
 そして、この地が平穏なのは、弁天さまのおかげだと、後のちまで村人たちの語りぐさになりました。


〔 解 説 〕

 東幡豆の海岸から一キロほどの海上に二つの島がある。手前が前島、その向こうが沖島(一般に沖ノ島ともいわれた)である。南北二百メートル、東西四百メートルのこの島を境内とした沖嶋社には、弁財天が祭られている。 由緒によれば、貞観十四年(八七二)の創建で、かつては、竹島、佐久島と並んで三河の三弁財天ともいわれた。
 昭和三十二年五月、沖島に猿が放たれ、うさぎ島とともに猿が島の通称で観光化されたが、平成九年にはその名称も返上している。なお、この話のものかどうかは別にして、社には数振の刀が奉納されている。


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