お告げのかぼちゃ

 東幡豆の妙善寺が、むかし西林寺と呼ばれていたころのことです。
 寺のおしょうさんは、利春僧都という、とても位の高い人でした。どんな時でも、どんな人の相談にも、いつも笑顔で答える温かい人でした。
 夏も終わりに近いある夜のこと、不思議な事が起こりました。
 おしょうさんがうとうとした時、まくら元に、観音さまが現れました。
「利春よ、おまえにさずけたい福徳がある。明日の朝、浜に出てみるがよい」
 おしょうさんは、おどろいて目を覚ましました。
(はて、福徳とはいったい何の事じゃろう)
 おしょうさんは、観音さまのお告げが気がかりで、夜の明けきらぬうちに、寺の前の浜に出てみました。
 すると、ぶつくさ言っている漁師の源助に出会いました。
「源助じゃないか。何をしとる」
「あ、おっさん。おらあ、こんなもんにけつまずいただ。こりゃあ何だえ」
「ほんに、見たこともないもんだ。何じゃろう」
 木の実とも野菜ともつかない丸い形をした物が、たくさん岸に打ち上げられていました。
 沖の方を見ると、同じような物が、ぷかぷかういています。
「源助、じつは、ゆうべ観音さまのお告げがあってな。『福徳をさずけるから、浜に出てみよ』と、おっしゃったのじゃ」
「おっさん、そいつぁ、この丸いもんのことじゃねえかえ」
 のぼる朝日を背に、二人が話をしている間にも、次つぎと流されて来ました。
「中からすげえお宝が出てくるかもしれねえ。はよ、割ってみておくれ」
「待て待て、これが福徳ならば、まずは、観音さまにお供えしてからじゃ」
 二人はとりあえず、寺まで運ぶことにしました。

「観音さま、これをいったいどうしろとおっしゃるのでしょうか。お教えください」 おしょうさんは、手を合わせて観音さまに問いかけましたが、何の答えもありません。
 源助は一刻も早く、割ってみたくてたまりません。
「おっさん、はよ、はよ」
「何じゃ、子どもみたいに。そうせかすでない」
 おしょうさんは、おそるおそる包丁を入れてみました。
 すると、きれいな黄色の実が現れ、種がいっぱい入っていました。
「なあんだ、お宝じゃあねえのか。おらあ帰るわ」
 源助はがっかりして、家に帰って行きました。
「それにしても、瓜によう似とる。だとすると、食べられるにちがいないが……」
 おしょうさんは、一日じゅう考えこんだ末、思いきってその実をにて食べてみました。
 すると、どうでしょう。とても甘くて、今まで食べたことのないおいしさでした。
 あくる朝、やはり気になる様子で、源助は寺にやって来ました。
「おっさん、あの丸いもんはどうしたえ」
「にて食べてみたがな、あんなうまいものは初めてじゃよ。源助、おまえも食べてみろ」
 おしょうさんにすすめられ、源助は、おそるおそる一口食べてみると、甘味が口の中に広がり、たまらないおいしさでした。
 源助からこの話を聞いた村人は、我先にと、寺に集まって来ました。
「ほんに、こりゃあうめえ」
「甘くて、ほっぺたが落ちそうだ」
 おしょうさんは、楽しみの少ない村人のために、月に一回、少しずつふるまうことにしました。
(この実を食べてから顔の色つやがよくなって、生き生きとしてきた。これぞ、お告げの福徳じゃ)
 おしょうさんはそう思い、大切にとっておいた種をまき、たくさん育てました。

 ずっと後でわかったことですが、そのおいしい実は「かぼちゃ」でした。

  *福徳 ……… 善行によって得られる幸福と利益。


〔 解 説 〕

 由緒によれば、妙善寺は、天平年間に建てられた天台宗の寺であったが、後にすたれ、天文年間になって利春僧都が再興し西林寺と号したという。
 さらに時代を下って、天正十四年(一五八六)妙善尼の菩提を弔うために修理され、その後寛政年間に入って、心秋山妙善寺と改められた。
 「かぼちゃ寺」と呼ばれるようになったのは近年のことで、冬至の日に「かぼちゃじるこ」がふるまわれるようになったのは三十年ほど前からである。


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