鳥羽熊の踏み石

 明治の始めごろ、鳥羽の迎に「鳥羽熊」と呼ばれる大男がいました。
 鳥羽熊は「清水次郎長」の子分として、この辺りでは名の知れた侠客でした。
「この間、またけんかして、何人も投げ飛ばしたげな」
「子どものころから力が強くて、ひでえ暴れん坊だったでのう」
「あの目でにらまれたら、寿命が縮んでしまうわ」
 迎の人ばかりか、鳥羽じゅうの人たちが、鳥羽熊をさけて通るようにしていました。 小さな子どもも、親に「鳥羽熊を連れて来るぞ」と言われると、どんなに泣いていても、すぐ泣きやみました。
 鳥羽熊には子分が何人もおり、客も多く、家の中はいつもにぎやかでした。
 しかし、村人がだれも話しかけてくれないのは、さびしいことでした。
「おれは、村の衆に手をかけたことは、ただの一度もねえだが……」
 村人をながめながら、ときどきため息をつきました。

 ところで、迎には「秋葉さん」が祭ってあって、その前に、常夜灯が建っていました。夕方になると、当番の人が明かりをつけました。この常夜灯は高かったので、火をつけに上がるのは、なかなか大変でした。
「まあちいと低いと楽だがなあ」だれもが思いましたが、それでも、上がれないこともないので、そのまま日が過ぎていきました。

「秋葉さん」のお祭りが近づいたころ、鳥羽熊は、常夜灯の話を耳にしました。
「迎のみんなが困っておるなら、何とか力になりてえもんだ」
 鳥羽熊は考えました。
「石だ!そうだ、石を置けばいいじゃねえか」
 さっそく、子分に石を探させました。姫山や石塚にいい山石があると聞くと、自分で見に出かけました。
「おれが持って行くからには、大きくてりっぱな石でなくちゃならねえ」

 ある朝のことです。
「秋葉さん」のそばで、ドスンと大きな音がしました。
 近所の人たちは家からとび出しました。
 見ると、ふたかかえもある白い大きな石が常夜灯の前に置かれ、その上に鳥羽熊が立っていました。
 みんな、ポカンと見上げました。
 鳥羽熊はギョロリと大きな目を向け、ぼそっと言いました。
「これなら楽だぞ。上がってみろ」
 我に返った一人が大声をあげました。
「こりゃあ、すげえ!こんな大石、どうやって持っといでたえ」
 鳥羽熊は、それには返事をしませんでしたが、顔はあせと土にまみれ、はんてんのかたや背にも土がいっぱいついていました。
「使うか。置いとくぞ」
「そ、そりゃあ、喜んで使わせてもらいますだ」
「親分さん、おおきん」
 みんなが礼を言うと、鳥羽熊はくるりと背を向け、さっさと行ってしまいました。
 それからというもの、迎の人たちは、だれもが楽に明かりをつけることができました。そして、鳥羽熊を見かけると、「おはようごぜえます」「いいお天気で」と、声をかけるようになりました。
 鳥羽熊は、相変わらず、こわい顔をして通り過ぎるだけでした。ただ、だれもいない所で、にやりとするのでした。

  *侠客  ……… 強きをくじき弱きを助けることを主義とし、親分子分の関係          で結ばれている人たち。


〔 解 説 〕

 鳥羽熊は本名を梶川藤次郎といい、文政十年(一八二七)に鳥羽の迎に生まれ、いつごろかは不明だが、清水次郎長の子分になっている。 話に出てくる常夜灯は、当時の主要道路であった迎から石塚へ抜ける道沿いにあり、今も残っている。鳥羽熊の踏み石は、残念なことに道路改修のとき砕かれてしまった。


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