通因寺の阿弥陀さま

 鳥羽の神宮寺跡にすっかりあれ果てた阿弥陀堂がありました。お堂の中には、阿弥陀さまがぽつんとすわっておられました。

 ゴソ、ゴソゴソ。
 台座の近くで何やら音がします。阿弥陀さまは、うす暗い中で目を足元に移しました。すると、ねずみが二ひき、台座の周りをチョロチョロしています。
「シッ、シッ、わたしをかじってもうまくないぞ。よそへ行っておくれ」
 ねずみがお堂から出て行くと、阿弥陀さまは、何もなかったようにすましてすわっておられました。
 ヒュー、ヒュー。
 こわれた戸口から風がふきこんできます。風は、阿弥陀さまに積もったほこりを巻き上げました。
「これはたまらん。ハッ、ハックション」
 阿弥陀さまは、大きなくしゃみをしました。指で鼻をクックッとこすると、また、すましてすわっておられました。
 ポタ、ポタ、ポタポタ、ポタ。
 風が止むと、今度は雨が降り出し、あちこちで雨もりがします。阿弥陀さまの頭にもポタリ。首筋から背中へとしずくが伝わります。しずくが落ちるたびに、ビクッビクッと身ぶるいしましたが、それでもその場で、じっとがまんしてすわっておられました。
 日がたつにつれて、雨はじわじわ阿弥陀さまの体にしみこみました。
「痛っ、おお、痛い。頭も、ひざも痛い。体がくさりだしたらしい。これは何とかしなければ……」
 阿弥陀さまは、いろいろ考えておられましたが、
「そうじゃ、そうじゃ」
と、良い方法を思いつかれました。

 さて、この阿弥陀堂の近くに、善祐というお坊さんが住んでおりました。
 善祐は、家から十町(約一キロメートル)ほどはなれた通因寺のお坊さんです。毎朝決まった時間に起き、決まった時間に顔を洗って、朝飯を食べ、決まった時間に家を出ました。
 十年以上、一日たりともくるったことがありません。
「善祐さんが出かけなさるで、今六ッ時(六時ごろ)だ」
「お帰りなさるで、わしらも仕事じまいにするか」
と、村人が時計がわりにするほどでした。
 善祐は、毎朝、こわれかけた阿弥陀堂のわきを通って通因寺へ行き、一日のおつとめが終わると、また同じ道を通って家へ帰るのでした。

 ある晩のことです。善祐がうとうとしていると、とても良い香りがして、辺りが光につつまれました。
「善祐、これ、善祐」
 ねぼけまなこで声のする方を見ると、そこには阿弥陀さまがすわっておられました。善祐は、あわててとび起き、阿弥陀さまの前にひれふしました。
「わたしは、神宮寺の阿弥陀如来じゃ。村人を苦しみから救い、幸せにしたいのだが、今のままではどうにもならぬ。そこでおまえにたのみがある。わたしをお堂から出してくれぬか」
「は、はい。あ、阿弥陀さまのおっしゃるとおりにいたします」
 善祐がおそるおそる顔を上げた時には、阿弥陀さまの姿はなく、かすかに香りが残っているだけでした。

 次の朝、いつもより早く起きた善祐は、阿弥陀堂へ急ぎました。
「ああ、何とおいたわしいお姿で。さあ、さあ、阿弥陀さま、わたしといっしょに通因寺へ参りましょう」
 長い間、あれ果てたお堂で、ほこりをかぶっていた阿弥陀さまは、ていねいにほこりをはらい落としてもらい、きれいになりました。そして、通因寺の本堂のお厨子に大切に祭られました。
「フフフッ、満足、満足」
 阿弥陀さまは、ニッコリほほえまれました。

  *厨子 ……… 二枚の開きとびらでつくった箱形の入れ物で、中に仏さまなど         を祭る。


〔 解 説 〕

 話に出てくる神宮寺は、七世紀ごろ建立され、鳥羽の神明社境内の西南部にあったといわれている。 寺は、戦国時代の戦火で廃寺になったが、阿弥陀堂だけが焼け残って、風雨にさらされていたという。 中の仏像は、阿弥陀如来で、木造の高さ六十センチほどの坐像である。胎内銘文には「文正二年三月八日、土馬保願主釈了尊」とあり、室町時代中期のものとわかる。現在は話のとおり通因寺に安置され、幡豆町の指定文化財にもなっている。
 なお、通因寺には、神宮寺の礎石もある。


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