八幡の庚申さん

 八幡村の山畑が桑の葉で青あおとしていたころ、田畑は豊かに実り、村人は生き生きと働いていました。
 村では十五けんの地主が集まって庚申を信仰しており、真平の家もそのうちの一けんでした。
 庚申の祭りが近づいて来たころ、父親が言いました。
「真平、おまえもよめはもらったし、もう一人前だ。ぼつぼつ村のつき合いをせねばな。どうだ、今度の庚申さんに出てみるか」
「ああ、いいぜ」
 真平は、(祭りなら、夜どおし飲んで食って、悪かねえなあ)と思いました。

 祭りの日が来ました。
 真平はいそいそと宿(当番)の家へ出かけました。庭先に入ったとたん、
「おお、真平来たか。そこの割る木を運んでくれ」
「はぁ」
 割る木を運ぼうとすると、ほかの人が呼びました。
「おーい、真平、そこのにんじんとなす、神さんの前に持って来てくれ」
「真平、このぜんを洗ってふいとけよ」
 次から次へと用事を言いつけられ、初めての真平は言われるままに動くしかありませんでした。
 祭りは、もちつきから始まって、神さんの掛け軸、供物の用意、ごはんのしたく、茶わんやはし、ぜんを洗うことなど、すべて男たちの手でやるのです。日が暮れかけ、社でお祈りが始まるころには、真平はぐったりとつかれてしまいました。
 お祈りが終わり、宿で酒と食事が出て、やっと祭り気分になりました。
 ところが、
「そろそろ、いいかえ。今日はどんな話があったかのう」
 宿の人が口を開くと、困り事、決め事などの話が出ました。
(えっ、なんでこんなとこで村の事を決めるんだ)
 真平は不思議に思いながらも、昼間のつかれと、長なが続く話し合いにあきて、うとうとしました。
「おい、おい、真平、ねむるんじゃあねえ」
 真平を起こした栄造は、小声で言いました。
「後で庚申さんのことを教えてやるから、絶対ねむるな、いいな」

 村じゅうがね静まったころ、やっと話し合いが終わりました。
 酒を持って、栄造が真平の横にすわりました。
「真平、今日はおまえが一番若い。庚申さんはな、よめをもらった若いもんが出ることになっとるんじゃ」
と話しかけ、庚申の話を始めました。
「庚申さんは、猿田彦大神という神さんで、背が高くて前髪をぎゅっと上に結んでおる。鼻はでかくて、目をぎょろっとさせたおそろしい顔だそうな。国や土地を守るといわれておって、ほらっ、あのお伊勢さんの守り神だよ」
 酒をつぎながら、話を続けました。
「安政(一八五四〜五九)のころかなあ、村を守ってくれる神さんがほしくてよ、十五人の若えもんが集まって伊勢までむかえに行ったんだと。その仲間で村の事をいろいろ考えてやってきたそうだ。八幡村が栄えておるのも、庚申さんのおかげだ」
 真平は、なるほどと思いながら聞いていました。
「ところで、栄造さん、何でねむっちゃいけねえだ」
「ああ、そのことか。今夜は『庚申待』といってな、ねむると腹の虫が天の神さんの所へ行って、ちょっとした悪い事でも告げ口するんだ。その虫ってえやつは、人の命も短くするし、その晩にできた子どもはどろぼうになるといわれておる」
「へぇー、虫を出さんようにねむらんでおるのか。それに、自分の子どもがどろぼうになっては困るからのう」
 真平は、掛け軸の方を見て、(えれえ神さんだなあ)と思いました。

 戸のすき間から朝の光が差しこみはじめると、みんな帰りじたくを始めました。
 真平は、ねむたい目をこすりながら大あくびをし、無事庚申の祭りがすんだことにほっとしました。


〔 解 説 〕

 さまざまな神仏の信仰が庶民の間に広がったのは、この地方では江戸時代中期以後のようである。庚申信仰もその一つで、干支の庚(かのえ)申(さる)の日を祭りの日(年に六回)とした。多くは仏教系の青面金剛菩薩が祭られたが、八幡では神道系の猿田彦命が祭られている。
 戦後、こうした信仰はしだいに影をひそめたが、八幡では簡略化された形で今も続けられている。


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